【小説】彼女は頭が悪いから【感想・ネタバレ】後編~作者姫野カオルコ氏の怒りと作品の抱える矛盾~実在の事件をモデルにする難しさを考える

彼女は頭が悪いから表紙

この前編の記事ではこの小説のあらすじと、実際の事件との相違、登場人物について書いていった。
前編の記事→【小説】彼女は頭が悪いから【あらすじ・ネタバレ】前編~実在の事件と小説の相違について検証する【登場人物・キャラクター】

後半では感想と考察を述べていきたい。
※批判を多く含みます!

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以下、感想、そして批判します。

作品内の語りの矛盾~東大生はモテまくりで心がないのか?

意識的に書かれているのかもしれないが、やたらと『東大生は人の心の機微が分からない』『東大生はその肩書だけでモテまくる』というような叙述がされるのだ。例えば

「自分の裡の、得にならない感情を見ない技術を幼いころから体得していた。さすがは東大に合格するだけのことはある器用さだ」
「彼はまっすぐで健やかな秀才なのだ。健やかな人間は内省を要しない。」
「そうした心の裡を探っていては東大には合格しないので…」


姫野カオルコ著 彼女は頭が悪いから 文春e‐Book 

あくまでつばさ個人のことを言いたいのかもしれないが、しつこく、まるで東大生が皆、『合理的であるが故に、自身や他人の感情の機微を取るに足らないものとして切り捨てて考えない人間』であるかのように描かれている。そして、東大には挫折など経験したことのない、幼子の如く天真爛漫な人間しかいないかのような書かれようだ。
上記と同じような文章が作中、しつこくも10回以上出てくる。

…そんな訳ないだろ。確かに東大は日本で一番偏差値が高い大学で、裕福な家庭の出身者が多い。弱者の存在が身近ではない者も多いだろう。受験戦争を勝ち抜いたからこそ、東大生という立場を手に入れている。しかし、彼らだって何かしらコンプレックスを抱いたり、挫折した経験だって当然ある。現に主人公のつばさ自身、作中でも中学生の頃は裕福で運動神経の高い同級生に嫉妬したり、軽いいじめにあったりもしている。東大進学後もケガで趣味だったスポーツから離れる経験もするし、他の東大生の家柄や裕福さに秘かにコンプレックスを抱いたりしている。そのため、上記の様な叙述部分とそういった彼のキャラクター部分もそもそも矛盾しているのだ。

確かに主人公つばさの様な人の心の機微に恐ろしく疎い人間も一定数いるかもしれない。しかし、だからといって東大生皆がこんな人間な訳ではないし、人の心が分からない鬼畜・サイコパス人間は他の大学でも、いわゆる低学歴層にだって存在する。なので、上記の様に断定する言い方を地の文で繰り返すのには違和感があるのだ。

そして、東大生であるから…それだけでモテるかといったら、やはり『ノー』であるだろう。確かに、『東大生』という肩書は魅力的だ。しかし、それは『イケメン』『話が上手い』『性格が良い』…と同列な一要素でしかない。何か他にプラスの要素を持っていなかったり、行動を起こすことが無ければ、『東大生』という肩書それだけで圧倒的にモテるなんてことはありえないのだ。現につばさがモテていたのも、パドルテニスやそのイベントを運営する手腕、スマートさがあってのことだろう。

東大理Ⅰの男子という立場を得れば、すぐに足元に2枚の女子カードがならぶ。それらのカードから、初めの練習に適したカードをひけばよい。1枚ひいた。すると次はならぶカードの数が2枚増え、また1枚選ぶと、次はカードは3枚増える。


姫野カオルコ著 彼女は頭が悪いから 文春e‐Book No.730/6025

こんな記述、モテない東大男子が読んだら怒りで発狂するんじゃないかな?(一応この文章の後、言い訳の様に『この法則は東大とは関係なく古今東西にあてはまる』等と書いてはいるが、最初に『東大理Ⅰ男子という立場を得れば』と書いたのは作者自身だ。)
しかし、作者も本当はそういったことをちゃんと理解しているのだろう。作中では、普通にモテず、人の心の機微に敏感な東大男子もちゃんと登場する。代表的なのは、主人公つばさの兄であるひかると、つばさの後輩で事件の加害者の一人となるエノキだ。

つばさの兄、ひかるは強いコンプレックスを持つと同時に、自分や他人の選民思想や歪んだプライドを酷く恥じる、繊細で内省的な人物として描かれている。そして、司法試験の失敗という挫折を経験するも、新天地に旅立ち、自身を見つめコンプレックスに向き合い解消していく強さを持ち合わせる。事件後つばさの家族の中で唯一、つばさに反省を促し、美咲からの示談条件を飲む様に勧める。
そしてエノキは、同じ東大の仲間や、そこに関わってくる女子達の感情や思惑に非常に敏感だ。東大生という肩書を持ちながらも、決して自分がモテることはないことをよく自覚してヘリくだった態度を取りつつも、東大生としての選民思想も持っている、中々複雑な精神構造を持った人物である。

叙述の部分で『東大生は皆、傲慢で人の心が分からないがモテまくり』と断言しながら、当然の様にこういったキャラクターを出してくる矛盾。作者である姫野カオルコ氏は現実を理解しつつも、それ以上に加害者達への強い怒りに突き動かされており、それゆえこういった書き方をせずにはいられなかったのだろう。気持ちは分からなくはないが、もう少しクールダウンしてから書いても良かったのではないか?

被害者である美咲の描かれ方に残る違和感

不自然な位に下心が全くない、素直で心優しい人物として描かれる。はっきり言ってしまえば、「大学生にもなって、こんな純真な人間いるわけないだろ」という位、良い子なキャラ設定なのだ。もちろん、実際に起こった事件を元にしている作品の性質上、美咲の設定・キャラクター作りが非常に難しいことは理解できる。例えば、つばさの『東大生』という肩書に惹かれたかの様な描写を少しでもすれば、被害者への中傷、バッシングに繋がりかねない。だから本当に難しい。

一応、彼女の悪い点としては、相手の事を思い遣り、空気を読んで事を荒立てないことに終始してしまい、「どうせ、わたしはわたしだから」と自分の意見や要望を言えず思考停止、漫然と周囲に流される、そして恋愛においてチャンスを逃しまくる…という設定がされているのだが、上述のことも相まって、異様にお人好しな、見ていてちょっと苛つく『弱い、善良な被害者』になってしまっているのだ。
…まあ、確かに美咲の様な人間は存在しなくはない。横浜の住宅街にある美咲の家庭は至って庶民的だが温かい。しかし、価値観が古く、無意識の内に長女の美咲には自立した女性になることよりも、『家庭的で下の子の面倒を良く見る、忍耐強い、良いお姉ちゃん』であることを強いている。生活が第一で、教育への投資に興味を持っていない。
そして、良い子で素直で真面目な美咲は、地元でそれなりに良い公立高校に進学するが、その公立高校は大学入試への指導・対策をするスキルを欠いており、その事に気付けすらしなかった美咲は予備校に通うという選択肢を持つこともなく、他の事情も相まって大学受験に失敗。比較的真面目であったにも関わらず偏差値48の『水谷女子大学』に進学することとなる。
(ちなみに、入学時の偏差値が高いにも関わらずに、大学入試対策のスキルが全くない公立高校は結構ある。どんなに真面目に勉強していても、入試の傾向に合わせた指導を受けなければ大学入試を突破するのは難しい。)
こういった、家庭環境面、経歴面が作り込まれているのは感心する。リアリティーがある。だからこそ、美咲の嫌味の無さが鼻についてしまうというか、浮いているように感じてしまう。

この作品の他の登場人物がそうであるように、学歴や経歴は劣等感や嫉妬、引け目といった負の人格形成に大いに影響する。
美咲の友人のイノッチが、東京理科大学の理学部第二部(夜間学部)であることを隠し、昼間通っているかの様に装い、自己嫌悪するように。

やはり実在の事件をベースにするのは、こういった点でも難しいのだろう。

実在する大学名を出す一方で、一部の学校名は伏せられるが、実に中途半端

この作品は登場人物の人格と、学歴の関係を非常に重視しているので、基本的に大学名はフィクションではなく、実在のものを出している。一方で、各人の出身中学・高校と被害者である美咲の大学については直接事件と関係無いからか、あるいは風評被害を恐れてか、架空の校名を使っている。だかそのネーミングセンスがなんとも言えない…躊躇半端なのだ。
例えば、美咲の通う『水谷女子大学』は架空の大学名だ。被害者の大学名を伏せるのは、プライバシーを守る意味でも、『頭が悪い』発言による風評被害を防ぐ意味でも納得できる。しかし、作中で語られる創立経緯等から、見る人が見ればどの学校か一目瞭然なのが気になる。伏せてるようで伏せられていない。伏せるならもっとちゃんと伏せて欲しい。

そして、加害者達が通っていた中学・高校名も同じだ。中学・高校については罪を犯してたのは在校生ではなく、あくまでOB。故に実在の名前を出すのをためらったのかもしれないが…主犯格譲治の出身中高名が麻武…なんかあんまりだ。麻布と武蔵をミックスしてしまったのだろうが、この二校は校風が全く異なるので一緒にしたらダメだろう。
なお実際の主犯格、松見の出身校は武蔵なので、ある意味麻布が風評被害。伏せ方が非常に中途半端なのだ。だったら一層、全然違う名前の架空の校名にしてほしい。
上述した通り、作者は小説の大部分を割いて、各人がどのような中学・高校に通って各々の人格、優越感やプライド、そしてコンプレックスを形成していったかに焦点を当てている。だからこそ、中途半端にぼかすことにチグハグな印象を持ってしまう。

東大についての細かな間違い ~文藝春秋は気付かなかったのか?

そして、作中で東大に対する間違った記述があるのも気になってしまう。
東大の女子の割合は1割→2割弱はいる(何故四捨五入せず切り捨てた??)
工学部理1の数学は他の学部と若干傾向が違う(簡単であるような描写)→そんなことはない。
理Ⅲ医学部の健康総合科学科なんか女子多いのに、医学部より偏差値の低い学部の男子とは(中略)口きいてくれませんからね→そんなわけあるかーい!
…この他にも、間違っている、こんなこと書いてしまってもいいのか?というような描写がある。
それぞ小説家には東大をはじめとした高学歴の編集者が付き添っているのだから、誰か指摘出来なかったのだろうか。東大出身が多い編集部があえて意地悪した…?等と勘繰ってしまう。後に姫野カオルコ氏はこういった誤りについて色々と言い訳をしているのだが、正直どれも納得がいかないものばかり。純粋に間違えていたのではないだろうか。

被害者美咲への世間のバッシングへの描き方

事件が明るみになると、被害者であるはずの美咲へのバッシングが始まる。加害者達自身も保身のため、匿名でネットで美咲を非難し、それがどの程度影響を及ぼしたの定かではないが、インターネット上で美咲へのバッシングはみるみる加速していく。

内容は『東大生狙いの尻軽の勘違い女』『ついていった方に落ち度がある』『みんな酒入ってんでしょ。逮捕された東大生が気の毒』といったもの。実際の事件と同様に、美咲がつばさと関係があったことが報道では伏せられたこともあって、美咲は世間から、『東大生狙いで男しかいない飲み会に安易に着いていったバカな女子大生』とみなされる。そして、美咲の個人情報が流出し、自宅にも嫌がらせの電話が掛かってくる様になり、美咲は更に病んでしまう…。この辺りの描写で私が引っ掛かってしまうのが、世間の声…というよりネットの声の大部分が、被害者の美咲を叩いている様に描かれている部分だ。確かに実際の事件でも被害者を非難し、誹謗中傷する声はあった(そもそも、どの犯罪、特に性犯罪系は必ず一定数こういった声が出てくる)。しかし、作中で描かれているように、被害者だけが叩かれているなんてことはなく、むしろ加害者達の特定に皆熱を上げていたと記憶している。確かに被害者、美咲の立場になってみれば、バッシングに傷付き、世間が全員敵であるかの様に感じられるだろう。それは理解できるので、美咲の目線でそういったように描かれるのであれば別に構わない。ただ、地の文、叙述の部分で世論の大半…というか9割5分が美咲(被害者)を非難したかの様に書くのは如何かと思うのだ。作者は相当、バッシングした者に怒り狂ったのだろうけど、作品の性質上、当時の社会の風潮を歪めて描くべきではないと私は考える。

しかし、評価出来る部分もあって、Yahoo!のニュースへのコメント欄(作中では『電議会』という名)への警鐘。執拗な非難を繰り返す人物の人間像を他の投稿(知恵袋)から探った上で、

インターネットが危険なのは、すべての文字が、均一の電子活字であることだ。対象となる事物事件等についての専門家からの意見も、多角的視野から熟考できる社会人の意見も、若年というより幼年といってよい子供からの、幼さゆえのヒステリックな意見も、すべてが同じ電子活字で、あたかも公的見解であるかのように表示される。不特定多数が目にする画面に。


姫野カオルコ著 彼女は頭が悪いから 文春e‐Book No.5102~5110/6025

これは、もう当たり前で今更なことなのだが、ネットを使う上でちゃんと意識しなくてはならない大事なことだ。それを改めて平易な言葉でしっかりと書いたことは評価したい。個人的にYahoo!ニュースのコメント欄を見ていると「えっ?」となることも少なくない。2chと一緒で、最初のレスに皆、結構引っ張られていく傾向があるからな…。過激な声が目立って、そしてそれが大多数になりやすいというネットの悪しき特性には常々注意したいものだ。

また、個人的にツボだったのは、当時真っ先に被害者をバッシングした芸人のツイートをほぼ、そのまま載せて、彼の芸名を『薬りんご』としたところ。一瞬、芸名を晒したのかと空目してしまった。このネーミングセンスは凄いと思う。
しかし、実在の芸人は『セカンドレイプにも程がある』と、逆に世間の大多数から非難されたものなのだが、やはり作中ではこの『薬りんご』のツイートに世間の大多数が賛同したかの様に描かれている 。確かに一部には被害者をバッシングした楽しんごに賛同する意見も確かにあったけれども…。何でこんな風に社会の風潮や世論を歪めて描くのだろう?そこはやはり理解できないのである。

評価できる点~シンプルに事件の本質をついた本作

『東大生』という肩書に一番固執していたのは…裁判を通して見えてくること

加害者達は裁判で『東大生』という肩書だけですり寄ってくる女性達の『下心』が嫌だったと主張する。しかし、本当に女性達は『東大生』という肩書だけですり寄ってくるのか?そんなことはないだろう。
上述した通り、『東大生』という肩書それだけでモテるわけはない。作中にも現れているが、加害者となる東大男子達は随分と自惚れていて、近づいてくる女性達が皆、『東大生』である自分達にモーションを掛けてきているような錯覚に陥っている。彼ら(特につばさと和久田)がそういう思考に陥るきっかけとなった女性も存在し、恐らく実際にそういう時もあるが、大体の女子達はただ気軽に彼等に声を掛けただけであったりする。実は誰よりも『東大生』という肩書にこだわって、積極的に利用していたのは彼等自身であったのだ。

大体、『女性達は自分達を東大生という肩書でしか見てくれていない』と被害者ぶって主張するが、人が人を判断するにあたって、ある程度『下心』を持って『スペック』『肩書』に着目するのは当然のことで、それ自体責められることではない。そしてそれ以上に彼等自身も、女性達を出身大学や容姿でランク付けしているのだから、文句を言える立場じゃないだろう。

美咲がそんな彼等の矛盾や傲慢さをどこまで見抜いていたのかは定かでないが、加害者達へ提示した示談の条件は『東大を自主退学すること』であった。これに対して、加害者とその親達の対応がキレイに二分されたのが非常に興味深い。

共犯である國枝と和久田、そしてその家族達は、既に学部を卒業していたことも大きいのだろうが、東大大学院を自主退学することにアッサリと同意する。ある意味で真にインテリでかつ柔軟な思考を持ったこの2家庭は『東大』という肩書にさほどこだわらず、迅速に違う進路に舵を取り出すのだ。世間に対する印象操作も上手くて、自分達や息子への損害を最小限に食い止める。 それはそれで、その根底にある思想や行動原理も含めて鼻持ちならないのであるが。

一方で、示談条件を飲まなかった、主人公のつばさと、主犯格の譲治、部屋を提供したエノキとその親達は、美咲に被害届を取り下げるようにしつこく迫り、足掻きまくるも空回りするだけだった。その結果、執行猶予付とはいえ実刑判決を食らい、東大から退学処分を下されることになる。
示談条件を飲まなかった3人とその親達こそ、誰よりも『東大生』であることに醜く固執していることが明らかになり、痛い目を見たのだ。ちなみに、上記の加害者の証言・主張や、被害者が出した示談条件、裁判の判決等の流れは実際の事件とほぼ同じである。

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事件の本質~事件の夜、東大生たちがしたかったことは何なのか

彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだった。

姫野カオルコ著 彼女は頭が悪いから 文春e‐Book No.5887/6025

姫野カオルコ氏は、この事件の本質をたったの2文で分かりやすく、ハッキリと示した。
事件を起こした5人は美咲を犯そうとした訳ではない。飲み会を盛り上げて、楽しみたかっただけなのだ。本当に。そして、彼等は『頭が悪い女子大生』は東大生の自分達との飲み会を心から喜び、嘲笑され、服を脱がされても、自ら笑いおどけてくれると心の底から信じていたのだ。特につばさは美咲が自分に好意を持っていることを分かっていたから、純粋に媚びてくると思い込んでいた。彼女がどんな切ない思いを胸に飲み会にやって来たか、想像すらせずに。
なので、裁判が終わったあとも、何故美咲が飲み会で涙を流したのかも理解できない。美咲が同じ人間として、複雑な感情や、彼女なりの価値観や自尊心を持っているということをそもそも理解できていないから。

執行猶予付とはいえ、有罪判決を受けた加害者三人。東大は彼等を退学処分とした。公判から1年後、元々裕福ではないエノキは、千葉県の高級ラウンジのボーイとして働く日々を送り、日々鬱屈を溜めている。主犯格の譲治は、公判後に姓を変え、執行猶予期間を終えた後に海外の大学に入学し直す予定である。裕福な実家のおかけで、おおよその将来設計を建てられている。主人公のつばさは、情報通信会社の仕事をしながら叔父の入院生活の補助をする日々。本命の彼女、和泉摩耶からは事件直後に切り捨てられ、自身の待遇に強い不満を抱いている。
ラスト、つばさは無意識の内に好意を抱いていた幼馴染みの女性に再会する。彼女から遠回しに自惚れを指摘され、そして美咲のことを思い出す。『下心』なんて持たずに、純粋に物知りなつばさを褒め称えた美咲を。

「巣鴨の飲み会で、なんで、あの子、あんなふうに泣いたのかな」

最後までつばさには分からないのである。

まとめ~姫野カオルコ氏が被害者に言いたいことは、最後、女性教授が代弁している

事件後、美咲は周囲に心を閉ざす。事件により傷付けられた上、心無い嫌がらせやバッシングにより、他者を信用できなくなる。そこに、母親からの、『レイプされたわけじゃないのだから良かったじゃないか』という言葉が拍車をかける。母親は美咲を慰めるつもりで言ったのだが、裁判等でも周囲のそういった言葉や空気を敏感に受け取っていた美咲は悲しみの感情を吐露できなくなってしまうのだ。
確かに美咲の受けた被害は性犯罪的な要素も多分にあるが(加害者5名にそのつもりが無くとも)、その本質は『人格を軽んじられ、貶められたこと』なのだ。そして、何かに傷付けられた人間に対して、『◯◯じゃないだけ良かった』『もっと酷い目にあった人もいる』等言うこと程、的外れで傷付ける慰めはないのだが、そのことを理解するのは難しい。

しかし、美咲の通う水谷女子大学の女性教授は違った。教授からの申し出に、公園で彼女と会うことにした美咲。教授は美咲を激励叱咤するわけでもなく、無闇に慰める訳でもない。ただ、自身の経験から、人が人を貶め、侮辱する行為を、『よくあること』『色恋沙汰』等と一般化、矮小化し、誤魔化す世間に対しての怒りと悔しさを静かに語る。
そして、

「神立さんがどれだけいやな気持ちだったか、私は他人ですから完全にはわかりません。ただ察することしかできません。でも、どうか元気を出して」

姫野カオルコ著 彼女は頭が悪いから 文春e‐Book No.5856/6025

そう言って、ただただ美咲の気持ちに寄り添うのだ。そんな教授の言葉に、美咲は事件後初めて素直に自身の悲しみをさらけ出し、号泣するのだ。

上述した通り、本作に対しては色々と引っ掛かる、突っ込みたくなる部分が多い。しかし、この教授の言葉こそ、姫野カオルコ氏が最も言いたい、伝えたいことで、そのメッセージは真摯に受け止めることができる。この作品や、モデルとなった事件は『東大生が』『エリートが』といったワードで耳目を集めたが、現実では人が人の心を踏みにじり、人格を蹂躙する事件・事象は溢れている。『男だから』『親だから』『上司だから』『教師だから』…挙げればキリが無いくらいに。だからこそ、こういった事件が起こった時は、表面的なワードだけでなく、ちゃんと本質を見つめなくてはならないのだ。とても難しいことだけど。そういった点で、この作品は評価できるのだ。
願わくは、実在の被害者の近くにもこの学長の様な言葉を差しのべられる人物がいることを。そして傷は消えないだろうが、癒され心穏やかに過ごせるようになってほしい。

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