【絵本】にじいろの魚【感想・考察】大人になって読み返すと引っかかる同調圧力と共産主義的価値観

にじいろのさかな表紙

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子どもの頃に観た作品を大人になって見返すと面白い。
視点が変わり、知識が伴った状態で見ると、全く違った解釈が出来たり、再発見することが多いからだ。

『これは子どもだと分からないネタだったんだなぁ。深い話だったんだなあ。』とか
『あれ?これ主人公の性格、クズ過ぎじゃね?よくこんな奴に共感してたな、自分』とか。

特に最近感じるのが絵本。子どもに読み聞かせをしているのだが、過去自身が読んでいた作品を読んで『!?』となることが少なくない。
例えば、せなけいこ氏の『ねないこ だれだ』なんて、夜更かしした子どもがおばけにされてしまい、おばけに連れて行かれてしまう…というお話なんだけど、連れて行かれちゃった子はイタズラしてたとかでもなく、ただ9時まで起きてただけ。夜更かしの判定ちょっと厳しすぎやしない?というか普通にホラーだな、おい…とか思ったり。
それ以外にも、絵本は子どもの感性、発想に合わせてか、パンチの効いたキャラやぶっ飛んだ展開も沢山。色々と突っ込みたくなるのだが、子供の教育に悪そうなので極力淡々と読み聞かせている。

しかし、そんな中でもここ最近で一番『!?』となった名作絵本がこちら。『にじいろの魚』である。
スイスの絵本作家マーカス・フィスターが1992年に生み出し、日本では1995年に谷川俊太郎が翻訳した。
美しい色合いの挿絵、特にその中でも銀色に光る鱗(キラキラ)が評判になり大ヒット(世界で1500万部突破)した絵本である。

私自身も幼少期買い与えられて、『キラキラだ!!』と大喜びしながら繰り返し読んでいた記憶があるので、懐かしいなぁと思いながら子どもに読み聞かせたのだが…。

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今更だけど、あらすじ・ネタバレ

青く深い遠くの海に、美しい魚、にじうおが暮らしていた。様々な色合いの鱗を持っていて、その中でも特に沢山ある銀色に光り輝く鱗が美しかった。
にじうおは『自分は他の魚とは違う』と考えており、高慢だった。

ある日、小さな青い魚から『キラキラ輝く銀色の鱗を1枚くれ』と懇願される。そんなに沢山あるのだから良いだろうと。しかし、にじうおは怒り、小さな青い魚を追い払う。そしてこの出来事が噂になり、にじうおは孤立してしまう。

『自分はこんなに美しいのに、どうして皆に好いてもらえないのだろうか?』
そう悩んだにじうおは、知恵者タコのおばあさんに相談する。
するとタコのおばあさんは『キラキラ輝く銀の鱗を1枚ずつ皆にあげればいい』『そうすれば幸せというものが分かる』と、にじうおにアドバイスをする。

戸惑うにじうお。自慢の鱗を無くしてしまっては自分はどうなってしまうのか、それを失って本当に幸せになれるのかと悩む。しかし、試しに1枚鱗を他の魚にあげてみる。すると思っていた以上に喜ばれて、自分も嬉しくなったにじいろの魚。次々と他の魚たちに輝く銀の鱗を分け与えていく。

最後、にじうおは自身の体に輝く銀の鱗は1枚しか残らなかったものの、孤立する前以上に皆と仲良くなって幸せになった。

~おしまい~

以下、感想と考察…というかケチをつけてみる

…あれ、これって共産主義の話かな?というのが久々に読んで最初に浮かんだ感想だった。

確かに社会で生きていくには、分け与える、共有すると言う精神は大事だ。そうして周囲と協調して絆を作っていくことも。

しかし、このやり方は物で媚びているようにしか思えない。やり過ぎだ。銀の鱗をあげることで結ばれた関係って、本当に友情か?

というより、そもそも分け与えることと、所有を放棄することは全然違う。

ラスト、魚たちに1枚ずつ銀色の美しい鱗を分け与え終えたにじうお。
ここで、にじうおの魚に複数銀色の鱗が残っていたらこんなにモヤモヤしないだろう。
しかし、にじいろの魚本人に残された銀色の鱗は一枚だけ。つまり皆と完全に一緒である(銀の鱗を取った後も、他の鱗がカラフル、虹色なので一応まだ目立つっちゃ目立つけど)。
絵本において『他者に自分の所有物を貸し与える、能力や特性を他者のために役立てる。その結果、主人公が成長し、周囲と上手くやって行けるようになる』という展開は良くあるパターンなのだが、自分の所有物を完全に放棄し、皆と全く一緒、徹底的に平等になることを良しとする展開は他に見ない。これはやはり社会主義の段階を通り越して、共産主義的な話だ。

まあ、元々孤立していたのは彼のつんけんした性格も原因であるような描写もあるのだけど、だったらその性格を直すなり、輝く鱗を何か皆の役に立てるなりで十分皆と和解して、友達になることができたのでは?と思ってしまうのだ。
『自分の持つ富』を分け与え、個性を失い皆と横並びになることでしか関係が結べないのだとしたら何とも空恐ろしい。

そして、他の魚たちが銀色の鱗を欲する、切実な理由があるならまだ納得できる。銀色の鱗があれば病気にならないとか捕食者に襲われないとか。
でも、理由がただ『キラキラしてて羨ましい』だもんな。何か物々交換や交渉を持ちかけるならまだしも、『キレイだからくれ』と言われたにじいろの魚が拒絶するのは当然で、それを理由にハブる他の魚たちの乞食根性の方がヤバいと思うのだ。というか鱗剥がすのって痛くないの?

皆と仲良くなるために、皆と完全に一緒になってしまったにじいろの魚。
お友達が出来た代わりに、突出した個性を失ったとも言える。

悪意のあるまとめ方をしてしまうと、この絵本のメッセージは
『突出した富、才能を持っていると周りに僻まれ嫉妬され孤立してしまいます。周囲に溶け込みたかったら、それらを放棄して周りと一緒になりなさい』

…そう捉えることも出来るのだ。
何だ、この出る杭は打たれる的な、同調圧力全開のメッセージ。
ある意味、日本人に合っている。作者スイス人だけど。私はスイスに詳しくないし、スイス人の国民性については真面目で堅実という位のイメージしか持っていないけど、国民皆兵制度がある位だし、他の欧州と比べると個より全に重きを置く傾向があるのだろうか?

この『にじいろのさかな』について『幸せは皆で分かち合うものだ』『人に富を分け与えることで外面的な美は失ったが、内面的な美を得た』といった好意的な解釈をする人も多いみたいだが、どうしても私は『他に方法あるよね…』と考えてしまう。私が資本主義のブタだからか。

まあ、はっきり言って、絵本一冊読み聞かせたところで子どもの価値観が激変することなんてそうそうない。
実際幼少期読んでた私自身だって、この絵本で施しの精神が爆発したなんてことは一切なく、「えへへ、キラキラしてる、キレイ」位しか思ってなかったわけだし。なので、そんな絵本一冊の内容に対して目くじら立てて「むきーっ!」と騒ぐことでもないのだろう。しかし、なんだかなあ…と思ってしまうのである。

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