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定期的に”青春”を描いた作品を観たくなる。特に夏。何故だろう、甲子園とかがあるからだろうか?
そういう訳で、今回は”青春”を描いた作品として、映画『セトウツミ』を紹介したい。しかし、この映画の”青春”は甲子園球児の様に汗をかいたりもしなければ、大恋愛もしない。何かミラクルなことが起きることもなければ、クリエイティブな活動をするわけではない。
…ただ、男子高生二人が河原で喋る、それだけなのだ。
原作は此元 和津也(このもと かづや)の同名漫画。主演は池松壮亮と菅田将暉。監督は『さよなら渓谷』の大森立嗣。 キャッチコピーは「この川で暇をつぶすだけの青春があってもええんちゃうか」。
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Contents
あらすじ
高校二年生の内海想(池松壮亮)と瀬戸小吉(菅田将暉)。インテリで斜に構えた内海と単純な瀬戸と性格が正反対にも関わらず、何故か二人はいつも、放課後、河原でダラダラと喋りともに時間を過ごしている。怖い先輩の悪口を言ったり、瀬戸発案の下らない言葉遊びに興じたり、好きな子に送るメールの文面に悩んだり…。時折不意に深い話になってしんみりしてしまったり、少し喧嘩をして気まずくなることもあるが、これといって大きな事件が起こることもなく、二人が無駄話を続ける中、少しずつ季節は巡っていくのである…。
以下、感想・考察
聞いてて心地よい二人の無駄話、そして絶妙な間
原作漫画を読んでいる身としては、「あの微妙な間をどう表現するのだろう?」と結構不安だったのだが、かなり上手く再現している。下手に話を混ぜたりオリジナル展開に持っていったりしていないので、安心して観ることができた。そして、それを実写に持っていったことで、原作以上に会話のシュールさが際立ったと言える。
明るいけれどもどこか女々しくて、よせばいいのに語彙力と知識が豊富な内海に対抗しようとして、余計な恥をかく瀬戸。賢くユーモアのセンスもあるのに、デリカシーの無さや間の悪さで意図せず瀬戸を傷付け、そのことで自己嫌悪に陥る内海。この二人のキャラクターを菅田将暉と池松壮亮が上手く演じていて、マンガのキャラを通り越した”実在感”とでも言うべきものが生まれている。
そのため、時折流れる気まずさもリアルで、『あるよね、こういいこと…』と、まるで自分まで河原にいるような気分になるのが不思議だ。
そして、定期的に流れるタンゴのリズムの様に、会話のテンポが心地よい。一度マンガで読んでいて、既に知っている会話なのに、笑ってしまうのだ。原作の再現度が高いだけでなく、そこに役者の演技が加わって相乗効果が生まれている(あーシナジー効果ってやつか)。
そして、このタンゴがリズミカルなのに、どこか後を引く寂しさも持っていて、妙な中毒性がある。ちなみにこのタンゴは監督が『少し寂しい雰囲気』を注文して作ってもらった様である。この曲のためもあってか、『遊んだ後の別れ際』の様な寂しさが原作以上に強調されている印象を受けた。
瀬戸と内海の抱える悩みと事情、そして樫村を巡る三角関係~それらを全て昇華する、会話と笑い
楽しくダラダラ話しているだけな様で、瀬戸にも内海にも悩みがある。父親と母親の離婚問題、入院している祖母、ボケて徘徊している祖父、愛猫の死…それらを笑いを交えて内海に打ち明ける瀬戸。一方、内海の家庭もネグレクト臭が漂っていたりと、明らかに闇を抱えているのだけれども、瀬戸はそこを突っ込まないし、内海も敢えてそれを打ち明けない。瀬戸が好きな学校の美少女、樫村(中条あやみ)は内海にアプローチをしている…と、明らかに樫村を巡って三角関係に陥っているのだが、瀬戸も内海もそのことは見て見ぬふり、決して核心を突くようなことはお互いに言わない。
陳腐な青春ドラマなら、『逃げるな!』とそこで問題に向き合ったりぶつかり合って、状況を変えようとするのかもしれない。だけど、この作品にはそれがない。何故なら、瀬戸も内海もそんな自分の境遇をそこまで悲観していないし、『河原』という居場所を得て、楽しく過ごせているから。孤独ではないから。
悩みは尽きないし、微妙な対人関係、距離感に狼狽えることもある。それでも“会話”をするというそれだけで、笑いを生み出し、前を向ける…それだけで、十分なのだ。
ラスト、ホットミルクティーの意味深な演出は…
ところで、ラストシーン寒い中待っていた瀬戸の前でホットのミルクティーを飲む内海。瀬戸が恨めしそうに見つめるので、既に口をつけたそれをあげるのだが、その直後、内海はカバンからもう一本ホットミルクティーの缶を取り出して開けて飲み始めるのだ。
「!?」となった。普通に開いてない缶を渡せよと。ちなみに原作は2巻の番外編なのだけれど、こんなシーンは無い。原作自体テーマの割りにBL臭は無く、この映画も特にそんな感じはしなかったので、ラストにこれが来たのはかなり驚いた。
そして、これは脚本に無い演出で、完全に内海を演じる池松壮亮のアドリブらしい。
…まあ、これは功をなしたと言えるだろう。案の定、腐女子は大感激の模様。
自然と腐女子を喜ばせるアドリブが出来てしまう池松壮亮は恐ろしい子だなぁと思う。
これは、まごうことなき『青春映画』
『青春』と言うと一般的にイメージされるのは、部活や創作活動で仲間達と汗をかき、時にぶつかり合ったりしながら分かり合う…といったもの。そこに恋愛が絡めば青春度5割増みたいな。まあ、分からなくもないし、大体の人が何かしらの青春的な経験をしているだろう。私も女子校出身だが、母校がイベントが多いところだったので、学祭、体育祭、修学旅行、部活の大会、登山、合唱コンクール等々、いわゆる“青春的”な体験はかなりしている。
しかし、何故だろう。30近くなった今、ふとした瞬間に蘇る記憶は、部活やイベントで一心同体になって頑張ってた瞬間ではなく、案外帰り道や休み時間に交わしたくだらない会話、やりとりだったりするのだ。それらを思い出しては「ふふっ」と笑ったり、少し寂しくなったり。たぶん、それこそが真に楽しくかけがえのない時間だったからだ。
「走り回って汗かかなあかんのか?なんかクリエイティブなことせなあかんのか?仲間と悪いことしたりせなあかんのか?」
セトウツミ 1巻 156/164
「この川で暇を潰すだけの青春があってもええんちゃうか」
瀬戸と出会う前、冷めた目で同級生達を見て一人で過ごしていた内海は今、河原で思いっきり瀬戸と青春をしているのだ。
それを淡々と、しかし真っ直ぐに捉えたこの映画はかなり笑えて、でもどこか過ぎ去った青春を思い出させる懐かしさと寂しさを含んだ、不思議な“青春映画”なのだ。
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まとめ~青春映画を観たい人にも会話劇を観たい人にもオススメ
そういう訳で、”青春映画”という所に焦点を当てて紹介してしまったが、この映画は”コメディ”としても”会話劇”としても優秀。油断していると吹き出してしまう場面も結構ある。それでいて、シュールな場面も多いため、一言で括るのが難しい映画でもある。
しかし、面白いのは確かで、その上時間も75分と非常に短いため、軽く見ることが出来る。”青春映画”、”コメディ映画”、”会話劇”が好きな人、それぞれに自信を持って照会できる作品なのだ。