2019年9月前半の雑記~『彼の植物は美しい』、『(ドラマ版)偽装不倫』に突っ込んだり、『(ドラマ版)凪のお暇』に文句言ったり評価したり

彼の植物は美しい 表紙

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Contents

ドラマ版『凪のお暇』第7話~いっそのこと坂本さんエンドを

9/1 坂本さんと共にコインランドリーの経営ねぇ…。ここまでオリジナル展開になるなら、もうそんなに文句は言うまい。

でも、“オリジナル展開”あるあるの、“なんでも繋げちゃう”手法を乱発してるなぁとは思う。坂本さんが働いていたブラック企業の講演会に慎二の兄、慎一が出演して、その慎一がゴンさんがDJしてるクラブにも出没してるとかさぁ…。ちょっと強引じゃない?イッツアスモールワールド過ぎない?

それにしても、ドラマ版の坂本さんプッシュ強いよね。坂本龍子役の市川実日子を押したいのかな?原作でも凪の事好きだけど、目の前に引っ越してきたりはしないぞ。ここまで坂本さんを推すのならば、いっそのことマンガ『ハチミツとクローバー』のラストで、はぐみが森田と竹本のどちらかを選ぶと見せかけてまさかの「修ちゃんの人生を私にください」と言ったように、慎二でもゴンでもない、第3の選択肢としての坂本さんエンドを迎えてほしい。

アニメ『ヴィンランド・サガ』第9話~丸太で戦うトルケルさんに、戦における恵体と一騎当千を考える

9/2 …丸太で戦うって『彼岸島』位しか無いと思ってたよ。なんかもっと色々と感想持ったはずなのに、丸太で戦うトルケルさんに全てを持っていかれてしまったヴィンランド・サガ、第9話。

しかし、こういう戦ものを見るといつも考えてしまうのだけど、個人の格闘センスやフィジカルの強さって、戦場でどれくらいものを言うのだろう?軍師の戦略策略をひっくり返せるほどのものなのだろうか?

もちろん、体格が良く格闘センスがあるに越したことはないし、それが大切なのは分かるけど、いわゆる、“一騎当千”というのは現実あり得たのだろうかと考えてしまう。喧嘩の強い奴が酒場とかで複数人の制止を振り切って暴れまわるとかは容易に想像できるのだけど、アニメやマンガの様に一人で10人以上を相手に無双するって現実では可能なのかしら?私はほんのちょっぴりだけ武道をかじったことがあるのだけど、当然本気での一対十とかの闘い、試合とかは見たことないのでちょっとよく分からない。時代設定が過去に遡れば遡るほど純粋な腕力がものを言うのは分かるけど、それが“どの程度”なのかが本気で気になるのだ。

“一騎当千”という言葉自体は好きだし、本当にあったら格好いいだろうなとは思う。でも『アルスラーン戦記』みたいに味方は超少数なのに皆が“一騎当千”だから勝ちまくるみたいなのは、そういうものだと分かっていても時々「うーん…」と思ってしまう。

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ドラマ版『偽装不倫』第9話~あなた達はどこに住んでるんですか?

9/4 もはや、惰性で見ている感が否めない。そうかそうか、記憶喪失ではなかったのか…というか、今回含めて残り2話しかないのに『第二章』とかなめてんのか?

しかし、このドラマ登場人物同士がバッタリ遭遇する率高いよね。街歩いてりゃ、鐘子はピンク頭やスペイン料理屋のねーちゃんに会って話掛けられるし。葉子も髪切りに行った先で風太(レッサーパンダではない。ピンク頭)に出会うし。偏見あるかもしれないが、30半ばの金のあるキャリアウーマンと20そこそこのお金のない男の子が同じ美容院に通うとは思えないのだが…。あなたたちどこに住んでるの?みんなそんなに近くに住んでるの?美容院、生活圏の中に一か所しかないの?…あれだ、この物語の世界はきっとバチカン市国並みに狭いのだろう。うん、納得。

『鉄火のコマキちゃんとぶたまんまん』…コマキちゃんから見えるメシマズの原因

9/6 今日のアンパンマンは鉄火のコマキちゃんが登場する回だったのだが、娘と共に見ながら色々と考えてしまった。この鉄火のコマキちゃんは以前からいる鉄火のマキちゃんに憧れて寿司職人を目指しているのだけど、まだまだ腕が未熟という設定…というか未熟という言葉じゃ済まない、激マズ料理を生産する、いわゆる“メシマズ”なのだ。そして、この“メシマズ”の描写がリアル。

  • 教わった分量を守らない
  • 分量を量らない
  • 作り慣れていないのに隠し味を入れる


逆に言えば

  • 丁寧に
  • 教え通りの分量を守って
  • しっかり量って
  • 余計なことをしない

これさえ守れば大体の料理はちゃんとできるよね。鉄火のコマキちゃんの調理を見ながらまだ2歳なのに「あーあ…」と言う長女。料理をするときはコマキちゃんを反面教師にして丁寧に作りましょうというメッセージなのかな…等と深読みしてみたりするのだった。

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ドラマ版『凪のお暇』第8話~原作厨をこじらせて苦しむ

9/6 …止めてくれ、その術はオレに効く…

1日の発言を撤回したい…只でさえ原作厨の私なのに、最も苦手なドラマオリジナル展開が来て、グレゴリウス7世のように憤死寸前だ。

前回に引き続き、坂本さんと一緒にコインランドリー経営計画を進めていた凪。あとは契約し、契約当日に50万(坂本さんも50万出し、二人で100万円出し合う)払うのみ。しかし、契約の日に母から北海道に来るように迫られた凪はそれを断れず、北海道から入金すると坂本さんに約束し、母の元に旅立つ。しかし、凪は北海道で母に家のリフォームの為に約70万円出すように圧力を掛けられてしまう。

『やりたいことがあるんだ』と断ろうとした凪だが、母の剣幕に負け、お金を下ろして渡してしまう。凪の通帳の残高は10万円もなく、当然契約の50万円は出せない。電話で坂本さんに謝罪する凪は、何故か追いかけてきていた慎二とゴンと共に失意の中、立川に帰る。凪がお金を出さなかったことで、コインランドリー経営計画は完全に流れてしまったのだが、坂本は凪を責めることはせず『夢を見られて楽しかった』と笑うのであった…。

…いや、おかしいだろ!何でこんなにアッサリと許されるんだ凪。鼻血が出るほど殴られても文句言えないレベルのやらかしだぞ、これ。主人公が理不尽に責められる展開は別に好きじゃないが、異様に甘やかされる展開は嫌いなので特に辛いものがある。

そして、この“オリジナル展開”、原作との比較抜きにご都合主義に溢れていると感じてしまうのだ。

まず、契約の日に北海道帰るなよ。さすがにどんなに母親がうるさいからって、それ位ずらせよ。日付くらいずらせるだろ、おかしいだろ。
そして、アラサーで今までそこそこの企業で働いて節約が趣味だった女の貯金が80万位しか無いってどう考えてもおかしいだろうが。マンガ版と違い、ドラマ版ではちょいちょい母親から金をむしり取られてる描写もあるし、空気を読みまくっていた頃の凪は身なりにも気を使ったり、人との付き合いで望まぬ出費もあっただろうけど、それでも100万切ってるってヤバくないか?そんな貯金額でさすがにお暇取らないだろう。原作と違って一夏しか時間は経過していないのだから、お暇中にそんなに減ったとも思えないし。
それに50万円だったら、凪が用意出来なくても坂本さんが都合できたのではと考えてしまう。まあ、契約は“信用”がものを言うので、経営者の一人である凪が用意できなくては意味がないのかもしれないけどね。
しつこいけど、原作厨が何故こんなに“オリジナル展開”に厳しいかと言うと、オリジナル展開が酷すぎた結果、原作まで駄作と世間に勘違いされるのが本当に耐えられないのだ。
あと2話もあるんだ…。とりあえず見るか…。

漫画『彼の植物は美しい(松山オニ)』感想(ネタバレあり)~BL、純愛と見せ掛けてのサイコ?ホラー?ファンタジー?…雰囲気は良かったのだけど…

9/9 「Renta!の広告には積極的に釣られてやる!」と思っているので、何かミステリアスな雰囲気が気に入ったので深いこと考えず購入!

BLだったことに気付いたけど女子校育ちなのでBLにそんなに抵抗が無いのでサラサラと読めた。…一言でいうなら、かなり不思議な作品。“BL”という事を除くと、ジャンルとしてはどう説明していいか迷う。以下、あらすじ。

天涯孤独の不良少年だったハンスは、孤児院を飛び出し親切な女性の元に身を寄せていたが、ある日突然何者かに殺された。だが、目が覚めると、植物に囲まれた屋敷の中、ユアンという名の美少年(体も顔もツギハギだらけだけど)に生まれ変わっていた。そして、側には“ユアンの恋人”と自称する男、ヤンがいた。

ユアンは一度死んでしまったものの、ヤンは諦める事が出来ず多数の死体の体をツギハギすることによってユアンを蘇させたと語る。突然のことに混乱するハンスであったが、中身がユアンじゃないとバレたら殺されると思い『記憶を喪失してしまった』ということにして、ユアンとして生きることを選択する。かくして、ユアンのふりをしたハンス、屋敷の植物を育てる風変わりなヤン、そして何でもできる有能なお手伝い(メイド服を着た男)、アイムの三人の奇妙な生活が始まるのであった。

生き返った直後は声も出せなかったハンスだったが、ツギハギの体やヤン達との生活に少しずつ慣れていき、何不自由ない暮らしを淡々と享受する。だが、ヤンはそんなハンスをユアンであると疑うことなく惜しみ無い愛情を注ぎ続ける。当初はヤンの愛情に戸惑うハンスであったが、少々変わっているものの心優しく穏やかなヤンに心を開き惹かれていく。しかし、それと同時に自身が本当はユアンではないのにヤンを騙していること、そして、ヤンの愛情が自分ではない、“ユアン”に向けられているものだと考え、苦悩するようになっていくのであった…。

以下、ネタバレ。

『ヤンが愛していた本物のユアンになりたい』そう強く願うようになっていったハンス。しかし、お手伝いのアイムの話によれば以前のユアンは『聡明で理知的な凛とした人物』『ヤンを拾い勉学を教えた聖人』ということで、自分とは程遠い人間であると知ったハンスはがく然とする。しかし、ヤンはハンスを『以前と変わらない優しい、オレが求めていたユアンだ』と評し、『オレは本当に今のユアンでいいんだよ』と笑う。ハンスはヤンのその言葉に救われ、ますますヤンの事が好きになるのであった…。

と、一見すると“純愛”なこの物語。しかし、最後の1話で全てがひっくり返る。

美しくありとあらゆる植物が季節を問わず花をつけ実を結ぶこの屋敷は、奇妙な使い魔の様な存在が潜む等どこかおかしい。そして、ヤンやアイムが語った”以前のユアン”には嘘があった。

確かに美しく理知的で聡明で人々から愛されていたユアン。しかし、実際は冷酷な人間でヤンのことを拾ったのも世間体のためで全く愛してなどいなかった。だが、そんなユアンに執着し続けたヤンはなんと屋敷の使用人達もろともユアンを殺してしまったのだ。(え?これジャンル”サイコ”、”スリラー”、”サスペンス”だった?)

そして、アイムの正体は悪魔で(某漫画アニメの様な『悪魔で執事』、ならぬ『悪魔でメイド』!?)、ヤンは悪魔のアイムと契約、魂を売って”ユアン”を蘇生させたので。さらに、生前のハンスを拾った女性の正体もこのアイムで、ユアンを蘇生させるための材料としてハンスを殺したのだ。(ジャンル、”ファンタジー”と”ホラー”も追加だな。)

「僕の庭のように美しく、花を咲かせて散らせて僕の采配のままに」

彼の植物は美しい 松山おに 117/197

そうアイムに語り笑うヤン。死してアイムに地獄に連れて行かれる日までユアン(ハンス)と幸せな生活を送ると決めているのであった…。(終)

…個人的にちょっと引っ掛かったのは、ヤンが魂を悪魔であるアイムに売り払って手に入れた”ユアン”がユアンの顔をした別人のハンスであること。もし、これが『ユアンの記憶を消して育て直す』とかだったらまだ『歪んでるけどヤンはユアンを愛している』と言える。

でもヤンは意図的にユアンを殺して、中身が全くの他人であるハンスになっても構わなかったわけで。…何かそれって結局ユアンの外見だけが好きだったってことにならない?ヤン、それお前、本当にそれ『ユアンの事が好きだった』って言えるのか?一応そこはアイムも『あれはユアンじゃねえよ』と突っ込んでいて、それに対してヤンは『今のユアンは種だ』と自らが理想に向けて育てるみたいなことを言っているけど、やっぱり納得がいかない。

しかし、上述の様に設定はぶっ飛んでるけど作品の雰囲気は良く、物語として楽しむことができた。 ただ、物語は短く(120ページもない)、最後に一気に種明かしが来てしまったので、なんというか『設定を見せられただけ』のような気もしなくはない。だからこそ、もう少し長ければなあ…と思ってしまう。そうしたら唐突な悪魔設定等ももう少し受け入れやすかった気がする。

あと、同時に収録されている短編も面白い。私は不良少年が温室で園芸を愛するクラスメイトと交流する『6日目きみとココで』が一番好きだな。

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ドラマ版『偽装不倫』最終話・最終回~番宣の方が輝いている杏と宮沢氷魚

9/11 最終話直前という事で日テレに番宣のため杏と宮沢氷魚が朝から出まくってたけど、ドラマ本編よりも輝いて見えたのは何故?…そう思って気付く。違うな、番宣の二人が特別輝いてるんじゃない。ドラマだとくすんで見えていたんだって。なんてことだ。女優、俳優は物語の中でこそより輝くのではないか?役者がくすんで見えるドラマ…それがこの『偽装不倫』だった。

何かもう、最終回だったってのに、一緒に見ている夫は途中何回も寝て、その度に叩き起こす私。風太と賢治さんの謎の男の勝負も、『実は賢治さんが元世界チャンプとか、地下格闘技場の出身者だった』とか『拳と拳の戦いと見せ掛けてハイキックかます』とか無いかなーと期待しながら見たけどなかった。

そして、なんやかんやあって(適当)成田空港まで走る鐘子。うん、ここ舞台どこなんだろう、走っていける距離にある成田空港。マンガ『ハイスコアガール』では同じように主人公が想い人を空港まで追いかけるシーンでとても感動したのに、こっちは何も思わなかった。

あと、最後の鐘子と丈が結ばれたことを示す、銀河鉄道前のツーショット写真。…なんでそんなに合成感丸出しなんだよ。本当、最後の最後までなんだったんだろう…。

ドラマ版『凪のお暇』第9話~一周回って面白く感じてしまったよ

9/13 あれ、面白い…?先週めっちゃ批判してたのに。我ながら言ってることコロコロ変わってるな。大丈夫か?情緒不安定なのか。でも、とりあえず一周回って面白く思えてきた。

突然上京しアパートまでやってきた凪の母、夕にお暇生活について誤魔化すために、慎二は結婚を前提とした節約だと説明し凪も思わず話を合わせてしまう。しかし、それを喜んだ母、夕は両家の顔合わせを急かし、結婚の話は慎二の家にも行ってしまう。夕と慎二の母は電話口で意気投合した様で結婚の話はどんどん進み、凪と夕は慎二の祖母の米寿祝いのパーティーに呼ばれる。

だがパーティー会場で慎二の母が興信所を使って夕凪母子を調査したことを明かす。凪の父親が訳ありで、凪がとうに会社を辞めてスナックで働いていることを理由に慎二との結婚を反対し出す。慎二の母の明らかな見下しと凪の現状に憤死寸前の夕。しかし、今度はパーティー会場に慎二の兄、慎一が登場し、父に愛人と隠し子がいること、母が整形狂いなこと、自身が怪しげな職についてること等慎二の家の虚飾を皆の前で暴露。パーティー会場は凍り付き、今まで家族の体裁を守り続けていた慎二のメンタルは瀕死。そんな慎二の家庭を鼻で笑い出した母、夕。

だが、今度は凪が『嫌い、お母さんのことずっと』と今まで思ってきたことをぶちまけ、『自分のためだけに生きる』と宣言し、実は自分とよく似ていた慎二を連れてパーティーから逃亡。そして二人で逃げた先の公園で号泣するのだ。

…もちろん、この流れについては強引だなーとか、おばあちゃん米寿祝いぶち壊されて可哀想だとか色々と思わなくもないのだけど、それ以上に勢いがあって、なんだかスッキリしてしまった。こういう“ぶち壊し展開”が映えるのってやっぱり実写だよなーとも思う。

そして、ゴンさんもオリジナル展開。原作と違ってさっさと凪に恋をしていると自覚できたゴンは過去の女の子達から合鍵を回収し、『凪のためだけのちぎりパンになる』と慎二と元サヤになりかけていた凪に交際を申し込むのだ。
果たして次回最終回はどうなるのか。原作が終わってないから、どっちつかずになるのかな?ここまで来たら納得ができるような”オリジナル最終回”をやってほしい。

ドキュメンタリー『ザ・ノンフィクション』、”レンタルなんもしない人”…森本祥司さんについて思う事~自分が嫌だと思うことは大体他の人も嫌だよ…

9/15 案の定炎上しとりますな、”レンタルなんもしない人”。『ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます』という売り文句で自身をレンタルしているという森本祥司さん。交通費と飲食代以外は無料で、他に特に仕事は無いようだ(本は出して印税が多少あるみたいだけど)。…まあ、変わった人だなとは思うけど、別に個人の自由だからそれは好きにすればいいと思う。

しかし、独身かというとそんなことは無く、何と妻子がいる。しかし、奥さんは自分が支えればいいと思っている様で、夫である森本祥司さんがこういった不思議な生業をしていることや、レンタルで他の女性と交流したりすることについて特に嫌ではなさそうだった。…これも、まあ変わった夫婦関係であると思うけど、当人同士が納得しているなら世間が口出すべきことではないから好きにすればいいと思う。

問題、そして炎上した原因は、このドキュメンタリーの途中で(実際には放映日である今日よりもっと前)森本祥司さんが家事育児をめぐって妻と言い争いになり、妻子と別居し始めたことだ。森本祥司さんは『家事育児をしたくない』と語り、『スティーブ・ジョブズもあまり育児参加しなかった。ジョブズが育児に時間を取られていたらiPhoneは生まれなかった』『新しい価値を生み出そうとする人間が家事・育児を優先したら残念な世の中になる』と自身をジョブズになぞらえる発言をしたため、これに世間は非難轟々。

『家事育児から逃げるな』『お前はジョブズみたいに稼いでないだろ』『奥さんが可哀想』『というかお前”なにもしてない”だろ』と当然の様に炎上した。

これに対して思う事。森本祥司さんについて非常に残念だなと思う事をあげたい。

『育児家事が煩わしい』『逃げたい』という気持ちを持つ人は沢山いるし、その率直な気持ちそれ自体を批判するべきではないし、批判しても意味ないと思う。特に森本祥司さんは番組中、妻へ宛てた手紙の中で『時間を奪われることに多大な苦痛を感じる』と述べている。だからこそ、基本的にルーティンでマイナスの状態をゼロに戻すことが主な『家事』、スケジュールを立てにくく予期せず自体が起こりやすい、かつ時間も神経も体力も常に減らされ続ける『育児』という存在が、もしかしたら他の人よりも苦痛に感じやすいのかもしれない。

でもね、でもさ。確かに森本祥司さんは奥さんよりそれを”苦”に感じ”やすい” のかもしれないが、奥さんだって多かれ少なかれ『育児家事』は苦痛に感じているはずだ。それを無視してはいけない。

世の中には人によって感じ方考え方はそれぞれだ。でも、自分が嫌なことは大体、他の人も嫌なことであることが多い。例えば世の中にはG愛好家は確かに存在するけどほとんどの人がGを嫌っている。
森本祥司さんがそうであるように、世の中の人のほとんどが『時間を奪われること』『家事育児』にそれなりの苦痛を感じるのだ。

自身をスティーブ・ジョブズになぞらえたいなら勝手になぞらえればいいと思う。でも、自身を特別視して、それを理由に納得してない相手に”苦痛の元”を押し付けるのはどんな関係でも許されることではないと思う。それがジョブズであったとしても。

有名になってしまったが故なのか。森本祥司さんは自身を特別視するあまり、そういった相手への思いやりというものを全く持とうとしない人なのだと思うと、ただただ残念な人に見えてしまうのだ。

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