【映画版 聲の形】ガラスのハートの10代を考える・・・【感想・ネタバレ】

2016年、『君の名は』に次いで公開されたアニメ映画、『聲の形』。興行収入は『君の名は』の10分の1でしたが、十分話題になったと言えるでしょう。

恥ずかしながら私がこの作品を最後まで観たのは今週の日曜日、NHKでの放送、それも再放送です。

実はNetflixでは早くに視聴可能になっており、私も早速観たのですが、諸事情で中断してしまいそのままでした・・・。

もう今更過ぎますが、まずはざっくりしたあらすじとネタバレを紹介します。

Contents

以下、あらすじとネタバレ

高校3年生の主人公・石田将也はある決意を胸に、小学校時代の同級生西宮硝子に会いに行く。

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石田将也と西宮硝子の出会い

小学6年生の頃に話は遡る。将也はクラスの中心に君臨するガキ大将で日々刺激を求めていた。そんなある日、クラスに転校してきたのが先天性の聴覚障害を持つ西宮硝子だった。当初は戸惑いつつもクラスメイト達は彼女を支え、交流を深めていったが、大人達のフォローがない中で、何かと彼女の面倒を見ていた植野直花川井 みきをはじめとした生徒たちの不満と疲弊は次第に溜まっていった。硝子のため手話を覚える役に立候補した佐原みよこが女子たちの不興を買い孤立し不登校になってしまう等、クラスの雰囲気は悪化の一途を辿っていく。

クラスに受け入れられた将也のいたずら、そしていじめへ

そんな中、将也は硝子に対しからかい行為を働き、エスカレートしていくが、不満を持っていた周囲はそれを笑って受け入れる。担任の竹内も黙認していたが、いじめによって高額な補聴器の故障、紛失が度重なったことでいじめが明るみになり学級会が開かれる。その中で担任の竹内からもクラスメイト達から責任を一手に押し付けられた将也はガキ大将から一転、新たないじめの標的とされていく。

ある日、将也は、机を雑巾で懸命に拭く硝子を発見する。硝子が何をしているのか理解できなかった将也は彼女と取っ組み合いの喧嘩になる。硝子が別の学校に転校した後、硝子が落書きされた将也の机を綺麗に拭いていたということに気がつき、自分の行いを悔いるのであった。

中学に進学した後もかつての友人の島田一旗達から硝子へのいじめを吹聴され、孤独な状況が続く。その中で将也は自身を「罪を背負い、罰を受けるべき人間である」と位置づけ、他者に心を開くことなく生きていく。

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硝子と再会し、変わっていく将也の日常

高校3年生の春、硝子に会いに行った理由は贖罪のための自殺を考えており、その前に硝子に謝罪をしようと決意したためであった。しかし、硝子と再会した将也は動揺の中、謝罪ではなく勢いで「友達になりたい」と伝えてしまい、彼女から受け入れられたことから自殺を止め、硝子に向き合うことを決意するのであった。

硝子との再会を機に将也の日常は変わっていく。高校では永束友宏という友人を得て、当初は敵視されていたものの硝子の妹の結絃とも親しくなっていく。硝子の頼みから、同じ高校に進学した川井みきの協力を得てかつて不登校になってしまった佐原みよことも再会を果たすなど充実した日々を送るのであった。

植野に投げかけられる疑問、動揺する将也、傷つく硝子

そんな中、将也は女子による硝子いじめの主犯格であった植野直花とも再会する。

かつての将也の様に硝子へ接する彼女に不快感を持つ将也。しかし、彼女から「同情と罪悪感から硝子に優しく接しているに過ぎない」といった指摘されてしまい動揺するのであった。

ある日、将也達は皆で遊園地に出かけ、楽しい時間を過ごすも、植野は将也と島田を再開させ和解するように誘導してくる。拒んだ将也に植野は「硝子さえいなければ皆の関係が壊れることはなかった」主張するも、将也はそれを否定する。そんな彼の態度に苛立った植野は硝子と二人きりで観覧車に乗った際に、硝子へも同様の主張をし、硝子の心を傷つけるのであった。

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再び心を閉ざす将也

それから数日後、将也は友人になったばかりの真柴智が小学校時代の硝子へのいじめを知っていたことから、川井へ言いふらすべきことではないと忠告する。ところが、激怒した川井からクラスメイトの前で過去の行いを暴露されてしまう。それから再び周囲に心を閉ざした将也は夏休みの間、空元気状態で硝子と結絃と過ごすのであった。

硝子、突然の自殺未遂。庇った将也は意識不明に

夏休みのある日、将也は硝子家族と夏祭りに行くも、マンションに戻った硝子が投身自殺を図ろうとしているのを発見する。落下しそうな彼女を引き上げるも自身は力尽き、落下し、病院に運ばれたものの意識不明の状態に陥ってしまう。

助かった硝子は打ちひしがれるも、葛藤の末将也のと皆の関係を修復することを決意し、奔走するのであった。

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意識を取り戻した将也。彼が見た世界は・・・

その後、意識を取り戻した将也。硝子と再会し、初めて彼女に過去のことを謝罪し、「生きることを手伝って欲しい」と伝えた。硝子も将也の言葉を受け止めるのであった。

そして、文化祭。久々の学校に怯え、戸惑う将也であったが、硝子の働き掛けもあり、友人たちに暖かく迎えられる。硝子の真摯な態度を認めた植野も寛容な態度で硝子と向き合っていた。

文化祭の雑踏の中、将也は改めて周囲を見渡す。

心を開き、前向きに見た世界は鮮やかで美しく、将也は涙を流すのであった。

以下、感想と考察

展開がやや唐突に感じるが美しい映像と演出で緩和できる

これは原作付映画(特に漫画)の宿命とも言えるかも知れませんが、どうしても限られた尺に原作で外せない(あるいは作り手が外したくない)エピソードを詰め込むため展開が少々急でご都合主義に感じられます。同級生達と再会していく様子とか、マンションから落ちた現場に、裏切った小学校時代の同級生が居合わせたり。本当にこれは仕方がないのですけどね。

硝子が将也に「好き」と告白するシーンも「そこまで仲深まった?」と疑問を持たなくもないです。きっと原作ではその辺り、丁寧に描かれているのでしょうけど。

しかし、アニメーションの美しさと、間を効果的に使うことで季節の流れや登場人物の心情を上手く表現できています。

他者と上手く交流を持てず、被害妄想に陥っている将也。彼が心を許せない相手の顔に×印を付けることで彼の心理を表しています。ラストの文化祭のシーンで全ての×印が剥がれ落ちる様子は非常に爽快です。

人間の駄目な点の描き方が秀逸である一方、硝子と川井に残る不満

序盤の小学生時代からそうなのですが、人の持つ嫌らしさの描き方がリアルなんですよ。「あー、こういう嫌な感じ分かるわ」となります。例えば永束についても一見良い奴ですが、友達が少なかった人特有の、友人が出来た途端はっちゃけて馴れ馴れしくなる感じとか。真柴君みたいな裁定者気取り(出番が少ないせのもあってか、偉そうに見えてしまう)の奴も「いるね、こういう人」となります。

一方で、硝子と川井の描かれ方には不満が残ります。特に川井!

キレイな障害者として描かれる硝子

まずは、硝子。他の登場人物が生々しく描かれているのに対して、1人だけやたら純粋でキレイな人物として描かれています。一応植野から「愛想笑いや謝罪だけで誤魔化す悪癖」が指摘されたり、自殺を選ぶ弱さ身勝手さは描かれているものの、全体的な人物像は優しく、健気でひたむきな障害者というひと昔前のステレオタイプから脱していません。私は身体障害者、精神障害者のどちらとも交友があり、彼らが良いところも悪いところもある、つまり健常者と大差ない心の持ち主であると知っているだけに、こういう点にはがっかりしてしまいます。まあ、この点も「きっと原作では(以下略)・・・」と考えることにします。

小学生時代から全く成長しなかった川井

そして、川井。硝子に対して明確な怒りと敵意を持ち、将也と硝子の関係に揺さぶりを掛ける植野に対し、彼女は独善的かつ八方美人な言動で周囲を引っ掻き回します。優等生ぶっていますが根底で「私は悪くない。悪いのは周りの人間」と考えているのが透けて見える、恐らく作中で一番歪んでいる人間です。

川井が性格悪く描かれていること自体は全然構わないんですよ。他の人物達も曲者だらけですから。問題は、彼女だけ何の変化も成長もしていないことです。

別に彼女がやり込められるような勧善懲悪的な展開を望むわけではありません。ただ、将也が一度以外にも鋭い指摘を彼女に投げかけるものも「ひどい!!私は・・・」と逃げ切り、真柴君も「言い過ぎだ」と将也のほうを諌めてそれっきり。そして文化祭のシーン。復活した将也に対しおずおずと紙袋を差し出す川井。はっきり言って嫌な予感Maxです。「頼む、頼むから千羽鶴じゃありませんように!!」と叫んでしまいましたよ。そこからの千羽鶴どーん!!

その後、泣きながら千羽集まらなかったことを将也に詫びるのですが、私には「協力してくれなかったクラスメートが悪い」「というか人望がないお前が悪い」「とにかく私は悪くない!」と聞こえてしまうのです。こいつ全然変わってねーよ!

将也が意識不明の間、皆色々と悩み葛藤し成長しているのですが、彼女にはそれが感じられません。彼女が自分の思考パターンに気付いて言動を改めてる描写を期待していたのですけどね。作中存在感が薄い真柴君あたりに何か一言でも指摘させれば良いのに・・・と残念に感じます。

硝子の自殺未遂について考える

これも唐突に感じる展開の一つではないでしょうか。私も視聴中は「えー」と思ったのですが、よくよく自分の高校生時代を振り返ると「あ、十分にありえるな」と思い改めました。

そもそも、硝子は夏の間に大きく落ち込む3つの出来事に襲われているのです。

①植野からの心無い言葉

これは言うまでもないですね。自分のせいで好きな人が不幸になると言われれば誰だって落ち込みますよ。

②祖母の死

猫くらげ自身も思春期に立て続けに身内を亡くした経験があるので分かるのですが・・・。実生活への支障の有無を問わず、『身近な人を亡くす』ということ自体非常に大きなストレスになります。特に硝子の家庭は娘を守るためでしょうが常に不機嫌で張り詰めた母と、不登校を続ける妹を祖母が慰め癒すことで上手く回っていたように見えます。硝子は大きな心の支えを失ったのです。

③聴力の低下

このシーン、一瞬で見落としがちなのですが、中盤で硝子は祖母と一緒に市立病院で検査&診察を受けています。無音の中、医師から何かを告げられ、うろたえる祖母。そんな祖母を励ますように硝子は微笑みますが、帰宅後は自室のベッドで嗚咽しています。その後特に言及されることのないシーンですが、察するに硝子は医師から「聴力の低下」あるいは「将来的な聴力の喪失」を告げられたのでしょう。ちょっとこの辺りは原作を読まないと分からないのかもしれませんね。

元々ほとんど聞こえていなかったとはいえ、否、だからこそ、これ以上の聴力の低下&喪失に彼女は世界と自身が隔絶されるような恐怖を感じるのではないでしょうか。

一括りにするのは良くないことですが、10代の思春期は生命力にあふれている一方で、その心の繊細さはガラスの様(硝子だけに)で、簡単に砕けます。

猫くらげ自身の経験からガラスの10代を考える

実は猫くらげの親友の1人が高校生の時に自殺未遂をしたことがあります。彼女は前日まで普段通り笑顔で過ごしていました。

幸い、自殺は失敗に終わり、後遺症も残りませんでした。後に彼女に理由を聞きました。詳細はぼかしますが、彼女は元々家庭不和と学業成績不振に悩んでいたのですが、自殺に踏み切ったきっかけは、大好きだった漫画の連載が終了したからでした。周りは「そんな理由で・・・」と驚き呆れましたが、辛さは他人が数値化して測れるものではないですし、親友にとってはその漫画の連載の終了は、心の支えを失うのと同義だったのです。

何かに命を懸けてしまえるほどのひたむきさ、自制できない感情のふり幅、何をしでかすか分からない勢いこそ、まさに思春期なのかもしれません。

そう考えると『聲の形』は思春期を描けた良作と言えるでしょう。

自分の10代の頃のガラスのハートを思い出したいときに良い作品かもしれません。

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