【漫画】ぼくんち【ネタバレ・感想・考察】西原理恵子が描く人間のきらめき【オススメ】

ぼくんち 表紙

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漫画家としての西原理恵子氏の実力を知っている人はどれくらいいるだろうか。世間の大半は『高須院長の愛人』としてバラエティでちょっと見かける人…位に思っているのではないだろうか。あるいは2002年から2017年まで毎日新聞で連載されていた『毎日かあさん』での『育児もの』『お母ちゃん』のイメージが持たれているかもしれない。
西原理恵子の作品は『毎日かあさん』等のエッセイ漫画も素晴らしいのだが、そうではないフィクションものも良作が非常に多い。その中で一番、オススメしたいのがこの『ぼくんち』である。

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Contents

あらすじ

山と海しかない、貧しい貧しい町。そこで『ぼく』こと二太は大好きな兄、一太と暮らしている。ある日母が、二人の姉だという若く美しい女性、かの子を連れて戻ってくる。
優しく明るく、それでいて豪胆で時に破天荒な『ねえちゃん』に二太はすぐに懐き、一太も照れを見せながらも心を開いていった。
しかし、ある日を境に母は家出し戻ってこなくなってしまった。
弟たちに「今日から自分がおかあちゃんになる」と明るく笑って言ってのけるかの子に支えられ、健気に過ごす二太。しかし、ある日、キレイな服を着て、自分より小さい子どもにママと呼ばれている母親の姿を見かけてしまう。
動揺した二太は号泣しながら自身が見た光景をかの子に訴え、嘆き続ける。
ところがそんな二太の様子を見たかの子は普段の優しい態度を一転させ、泣き続ける二太を張り倒し、こう叫ぶのであった。

「二太、ええかあ、泣いたら世間がやさしゅうしてくれるかあっ。泣いたらハラがふくれるかあ。」
「泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」

ぼくんち 西原理恵子 7話 19/233

姉の啖呵に驚きつつも、苦境でも笑うことを覚えた二太。
しかし、母は家の権利書を持ち出して、家を売却。三人はやくざに家を追い出され住む家を失ってしまうのであった…。

以下、見どころと考察(ネタバレあり)

特に印象に残っているエピソードがある。18話目と19話目の『うまくてまずい寿司』をめぐる話だ。考察を混ぜつつ紹介したい。

18話目…家を失った三人。かの子は弟たちを養うため水商売(ピンサロ)で稼ぎ、三人はかの子の『いい人』が用意してくれたというマンションで暮らしを始める。

新しいマンション等、表面的には以前よりも豊かになったような生活に二太は満足している。しかし、物事が見えている一太はそうではなく塞ぎ込む。
ある日、仕事から帰って来たかの子は二人に土産としてお寿司を持ち帰ってくる。普段は決して口に出来ない高級寿司を喜びはしゃぎながら食べる二太に対して、無表情で食べることを拒否する一太。そしてそんな一太に対してかの子もまた『いらんかったら食べんでええ』と冷たく言うだけである。

そんな姉に対して一太は俯きがちに尋ねる。

「このすし、「いい人」が買うたんか。」「ねえちゃんそのいい人、本当に好きなんか?」

ぼくんち 西原理恵子 18話 40-41/233

しかし、その質問にかの子は硬い表情のまま、振り向きもせずこう返すのであった。

「ぬくうして、めしをくわせてくれる人や。大好きや。」

ぼくんち 西原理恵子 18話 41/233

二太は一太が何故寿司を食べようとしないのか理解できず、かの子と一太の間に流れる張り詰めた空気にただ戸惑う。

貧困が蔓延る猥雑な町で育った二太は幼いながらも姉、かの子の仕事が『男の人の相手をすること』であることを理解している。そして、それをこなす美しく優しい姉を尊敬している。しかし、それが『社会的にどの様な立場であるのか』ということは全く理解できていない。
一方、二太よりも年上で敏感な一太は自分達の置かれている立場とその脆さを肌で感じている。そして姉の笑顔の裏にある苦労も。

朝起きると、二太は一太が寿司の残りを食べてみるのを見つけて、純粋に喜ぶ。笑顔でうまいやろーとじゃれつく幼い弟を見て、一太は笑いながら言うのだ。

「うまい。」
「こんなに、こんなにうもうてこんなにまずいすしは、くうたことがない」

ぼくんち 西原理恵子 18話 41/233

この一太の言葉に自身の現状への諦めと受容、そして哀しさが全て詰まっている。

そして、19話目…相変わらずマンションではかの子と一太は何となく険悪な雰囲気のままであった。しかし、ある日かの子はケーキを片手に頬に腫らして帰ってくる。
動揺し、泣き、怒る幼い二太をかの子は笑顔を浮かべて、大したことがないからとなだめる。
そして、そんな二人を無表情に眺めていた一太が口を開く。
「それも、いい人か」と。
そして次の瞬間号泣しながら叫ぶのだ。

「ねえちゃんのゆう大好きな人かっ。」「おれっ、おれ大好きは殴らんと思うぞ、殴る人は大嫌いやないのんかっ。」

ぼくんち 西原理恵子 19話 43/233

しかし、かの子は時々はこういうこともあると言って微笑むだけであった。

その後、二太は泣きながら一太とともにケーキを食べる。二太は寿司の時に兄が言った「うまくてまずい」という言葉の意味を、自分達の置かれている立場を嫌というほど理解した。
涙を浮かべながら一太はそんな弟に『全部食え、そして早く大きくなって稼げるようになろう』と言い、皿の生クリームまで舐めつくす。そして二太はケーキの下の紙まで齧るのであった。

1話につき2ページ。三人の置かれている境遇、かの子の苦境、そして一太と二太の成長と葛藤がたったの4ページで表されている。

『貧乏人は善良で心が温かい』…そんな幻想を西原理恵子は決して描かない。自身の生い立ちや世界各地の貧困地域を巡った経験から貧しさがいかに人の心を絶望させ荒廃させていくかを深く理解している。だから、暴力が女子供といったより弱い立場に向けられる様、生まれた場所で運命が決まってしまう理不尽さ等の描写に容赦がない。西原が描く貧乏人はどこまでも卑しくて惨めったらしくて、悲惨だ。

しかし、同時にどんなに貧しく苦しくても、日々の暮らしの中に小さな喜びや情愛が確かに存在している。西原は主人公たちを通して貧しい彼らが逞しく、ずる賢く、時に優しさを見せ、かと思ったら裏切り合い、それでいて支え合いながら生きていく様を笑いと共に描いている。人間が生活する中で放つ一瞬の光、まさに『きらめき』とでもいうべきものを切り取っているのだ
紹介したこの18話と19話はやや湿っぽく感じられるかもしれないが、基本的に本作は悲惨であるのに明るい。ゆえに、不意に突き刺さるセリフやエピソードが非常に多いのだ。

この後、一太は『姉と弟に楽させるため』『みんなで暮らした家を取り戻すため』とかの子と二太から離れ、町一番の不良と言われるこういちくんの元で様々な闇稼業に手を染めていく。
そこで様々な経験をし、逞しく成長していく一方で、より大きな葛藤とやり切れなさを抱えていくことになる。
一方、二太は姉の元で暮らし続けながら町の人々を見つめ、関わることで優しさと純粋さを残しながら、どこか達観していく。

ちなみに、本作全114話の中で主人公たちの年齢はハッキリと述べられていない。作中時間がそれなりに経過している様な描写もあるので、個人的にはかの子は10代後半~20代半ば、一太は中学生~10代後半、二太は小学校低学年~小学校中高学年位のつもりで読んでいる。なお、作中において子供たちが就学している描写は殆どない(セーラー服を着た少女が出てくることはあるが)。

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クライマックスとラスト~二太の最後のセリフに思うこと。

終盤、闇家業から足を洗ったこういちくんから商売を譲り受けた一太。一太は『家を取り戻すため』とより一層精を出すが”シマ”を巡ってチンピラ、ヤクザと抗争になり、殺すか殺されるかの追い詰められた日々を送ることになる。そんなボロボロの一太に姉であるかの子は、『売りに出されている家に忍び込み、二太も連れて3人で鍋をしよう』と提案する。かつて皆で暮らした家で鍋を囲み、束の間の幸せな時間を過ごした三人。しかし、鍋を食べ終えた後、かの子はなんと家に火を放つのだった。

燃え盛る家を少し離れた所から見つめる3人。一太は呆然と「ねえちゃん、何で。」と尋ねる。するとかの子は哀しそうに笑いながら言うのであった。

「見てみ。燃えたらなくなるもんやんか」
「あんた、こんなもんに何で一生けんめいに。死ぬやも殺すやもしれんほど何をそんなに」

ぼくんち 西原理恵子 108話 221/233

姉が真に望んでいるものが何かを理解した一太。町から出て、ヤクザから逃げ、闇家業から足を洗い真っ当に生きていくことを決意する。
そして、遠い町でおでん屋として生きて行こうとした一太はかの子と二太に手紙で近況を知らせる。しかし、『二太へ、嘘をつかない人間になってください』と書かれた手紙を最後に、それっきり音信不通になってしまう。

この町に生まれ育ったがために一太は辛い目に遭った。いずれは二太もそうなるかもしれない…そう考えたかの子。かの子はある日突然、二太を家の焼け跡へタイムカプセルを掘りに誘い、そこで『明日遠くから親戚のじいさんが来るからもらわれて行きなさい』と背を向けながら告げるのであった。「ねえちゃんはタイムカプセルだから、いつか一太と二太、二人でむかえにきて」と泣きながら。

ラスト、港で親戚のじいちゃんを待つ二太。小さな古い漁船でやってきたじいちゃんは聞きなれない方言を話すものの、その手は暖かく馴染み深いにおいがしたため、二太は安心する。
そして、船に乗り、見慣れた町が遠ざかっている様子を見ながら、二太が発した言葉は…。

このラスト一コマ、そして二太の最後のセリフは是非、最初からこの作品を読んだうえで見て頂きたい。私はこのセリフが本当に胸に突き刺さり、数日その痛みを感じ続けることになった。

この作品に私が出会ったのは中学生の時だった。中学生の私は勉強がちょっと出来たこともあり、世の中のことを分かった気でいる、なかなか鼻持ちならないガキだったと思う。

そして『ぼくんち』を読んだ私はそんな自分を猛烈に『恥ずかしい』と感じたのであった。 今まで、色々な文学、映画、漫画等を鑑賞し、衝撃や影響を受けてきた。しかし、『自分が恥ずかしい』と思ったのはこの作品が初めてで、これ以降も色んな作品に出会ったが、この感覚を味わった作品は他にはない。

人に勧めても絵柄か、作者への先入観か、なかなか受け入れてもらえないかもしれない。しかし、私自身は心の底から 『ぼくんち』は名作であると思っている。なので本気でお勧めしたい。

ちなみに映画版について

実は、この『ぼくんち』は2003年に実写映画化している。そして、主演はなんと観月ありさ!!しかし、観たいと思っているものの、未だに観れていない。というのも、評価がきっぱり別れているのと『本当にあの良さが映画で表現できているのかな』『原作のイメージが壊れるのが怖い…』等々思ってしまうからだ。私はいわゆる原作厨だし。西原理恵子自身が映画の失敗をネタにしてるし。なんか舞台が四国じゃなくて関西に変更されているみたいだし…。

…とりあえず、機会があれば見てみようと思う。

あと、個人的に『ぼくんち』のWikipediaの登場人物欄に色々と疑問。映画版準拠なのかもしれないが、主人公は一太ではなく二太、あるいは兄弟二人が主人公であると思っているし、二太は普通に作中精神的に成長していると考えている。

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