【冬オススメドラマ】カルテット【ネタバレあり感想・考察】ほろ苦い大人の恋と夢~突き刺さる名セリフと冴えた脚本が描く一冬のラブサスペンス

カルテット

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一視聴者として『ドラマ、映画等で何が一番大事だと感じる?』…そう尋ねられたら私はためらいなく「脚本」と答える。勿論、俳優女優と彼らが持つ演技力はとても大事だが、脚本が適当でそのセリフにキレが無ければどんなに良い役者も輝かないのではないかと思っている。

そんな中で『じゃあ、好きな脚本家は?』と問われたら、他にもいるけど私は坂元裕二氏を真っ先に上げる。社会現象にもなった『東京ラブストーリー』、芦田愛菜が世間に名を轟かすきっかけになった『Mother』、夫婦や結婚について容赦なく抉った『最高の離婚』等、数々のヒット作を世に生み出している坂元氏のドラマだが、私が一番好きなのは『カルテット』(2017年1月放送)だ。

個人的に冬が来ると毎回見返したくなるドラマなのだ。

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Contents

あらすじ

ある日、とある都内のカラオケボックスで弦楽器を抱えた4人30代の男女が出会った。

唯一プロの経験があるヴァイオリニストでとても声の小さい専業主婦の巻真紀(松たか子)。マイペースでいい加減な性格の無職の路上チェリスト、世吹すずめ(満島ひかり)。高名な音楽一家に生まれながらプロにはならず趣味でヴァイオリンを嗜む生真面目なサラリーマン、別府司(松田龍平)。偏屈で口うるさいフリーターのヴィオラ奏者、家森諭高(高橋一生)。

“偶然の出会い”を祝した4人は弦楽四重奏…カルテット『ドーナツホール(以下、QDH)』を結成。週末に軽井沢にある別府の祖父が所有する別荘に集まり練習し活動することを決める。

ほどなくして、週末のみならず別荘で暮らすようになった4人は一冬の間に時に衝突し合いながらも絆を深め、諦め掛けていた『音楽家として生きていく』という夢を再燃させ、そしてそれぞれに恋をし始める。

…しかし、彼らの“偶然の出会い”には裏があった。実は真紀の夫、幹生は1年程前から失踪しており、すずめは『幹生は真紀に殺害された』と主張する真紀の姑の巻鏡子(もたいまさこ)に依頼されて、その本性を暴くべく真紀に近づいたのだ。そして、一見誠実で柔和な別府も実は真紀に一方的な想いを募らせるストーカーで”偶然の出会い”を仕組んだのだ。また、家森も謎の男達につけ回されていた。

果たして真紀の夫の失踪の真相は、そして4人の恋の行方、『音楽家として生きていく』という夢の行きつくところは…?。

大人の恋は難しい!?複雑な30代男女を演じる松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生の素晴らしさ

キャッチコピーは『大人の恋は、やっかいだ』。

『大人の恋』と聞くと、なんだかお洒落で洗練されたものを想像しがちであるが、大人になれば恋が上手くなる…なんてことはないと思う。確かに若い頃の様に周りが見えなくなるくらい感情に振り回されることは無くなるかもしれないが、今度はしがらみや経験が邪魔をして、臆病になって身動きが取れなくなってしまう…それが現実だろう。その”やっかいさ”を主演4人の女優俳優が余すことなく体現している。

一見、声も小さく控えめな性格に思われる真紀(松たか子)は時に目的の為に手段を選ばない姿勢を見せ、周囲を愕然とさせる。”いなくなってしまった夫”に未だに強い情念を抱いている様だが多くを語らず、その本心は非常に謎めいている。

子どもの様な天真爛漫さを持つすずめ(満島ひかり)は、当初の目的を忘れQDHを自身の居場所として大切に思う様になり、鏡子の依頼と真紀への友情、そして別府への恋心の板挟みになってしまう。芯がありながらも不器用な彼女は友情と恋心を成立させようとして自身の心を傷付け続ける。

そして、高名な音楽一家に生まれながらプロになれず”普通”であることにコンプレックスを持っている別府(松田龍平)。誰よりも真面目で誠実で優しい様で、実は他者からの好意に非常に鈍感・無頓着で、一目惚れした真紀へストーカーじみた想いを募らせている。

対して口うるさく我儘でいながら非常に繊細で他者の機微を察知するのに秀でた家森(高橋一生)は、それゆえに有朱に振り回されるし、すずめに恋をしているものの、彼女の心中を察して思いやる事しか出来ず、自身の想いをすずめに告げることは無い。

松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生の4人はこの複雑なキャラクターを自然体でかつ強烈な個性を持って演じきっている。彼らの存在に”フィクション感”が全くなく、まるでその場に同席しているかのようなリアルさを感じるのだ。

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脇役、ゲスト俳優も好演…特に吉岡里帆演じるレストラン従業員がはまり役

またメインの4人だけでなく脇役や毎話のゲスト俳優も素晴らしい。頼りない様で実はかなりしっかりしているライブレストラン『ノクターン』の店主を演じるサンドウィッチマンの富澤たけし。憎しみで視野が狭くなってしまっている姑役のもたいまさこ。真冬でも素足にサンダル、関西弁で捲し立てる家森の元妻を高橋メアリージュン…本当に「よくぞここにこの人を持ってきた!」と感心するくらい自然な配役なのだ。

特に印象に残ったのが吉岡里帆演じる、『ノクターン』の従業員、来杉有朱(きすぎ ありす)だ。元地下アイドルで極度の拝金主義で人の心を平然と弄ぶ有朱。 何かと批判される吉岡里帆だがこの有朱役は本当にはまり役で、特に第5話目で荒んだ価値観を語るシーンなんて何かに憑りつかれたかの様な気迫があって、見ていて鳥肌が立つ。本当に怖い。

『夫婦』『家族』『夢』…凝り固まった社会の意識に一石を投じるセリフの数々

そして、上述の役者たちの持ち味を引き出し輝かせているのが、この坂元裕二の脚本なのだ。

本作のメインは主人公達4人の恋の行方と”消えてしまった”真紀の夫の真実であり、それゆえジャンルは公式には『ラブサスペンス』とはなっているものの、単純な恋愛ものやサスペンスではなく、『夫婦』『家族』『夢を追うということ』といった多様なテーマにかなり深く切り込み、毎話必ずグサッと刺さり考えさせられるセリフがある。そのため『一言も聞き漏らすまい』と自然とどんどん引き込まれて行くのだ。会話、やりとりが物語を進めるためのツールではなく、それ自体が一つの作品と言って良いほど洗練されているのだ。

カルテットが突きつける『愛』と『夫婦』への問いかけ

一般的なラブコメディは恋が生まれ愛が育まれて成就する様にフォーカスが当てられるが、実際に難しいのはその愛を維持することなのだ。『二人は結ばれました、めでたしめでたし』なんて言うのはおとぎ話の世界だけの事で、互いに思いやりや気遣いがないと『夫婦』は保っていけない。だが、思いやり気遣っていたとしても価値観の齟齬の擦り合わせができなければいずれは破綻してしまう。そんな『夫婦』の現実を見事に描いている。
第4話で安易に『子どものため』というのを口実に復縁を言い出した家森に元妻、茶馬子は『子をかすがいにしたときが夫婦の終わりや』と吐き捨て、家森の中にある欺瞞を見事に暴く。
そして、真紀とその夫の夫婦関係の真実について明かされる6話も夫婦の擦れ違いの様子の描かれ方が実に見事で何度も見返してしまった。

旧態依然とした『家族像』への問いかけと血の呪縛からの解放

『家族』だって、その在り方は人それぞれで『慈しみ合い支え合う』なんて理想が通用しない家庭なんて世の中には沢山ある。だが、”毒親”という言葉が浸透しつつありながら、そういった家族の在り方はまだまだ理解されない。
第3話ではロクに事情を知らない他人から無責任に人生を壊した父親を看取る様に強いられ身も心も固まってしまったすずめ。しかし、『家族だから病院に行かなきゃダメかな』というすずめの手を取り真紀は『行かなくていい』と言う。このシーンは未だに個々の事情や心を酌まずに旧態依然として臭い『家族愛』を強いる社会に一石を投じるもので、見ていて胸がすく思いをした。過去と家族の事が原因でQDHという場所を失う事を怖れていたすずめに対して真紀は「私たち、同じシャンプー使ってるじゃないですか。家族じゃないけど、洗濯機まとめて洗ってるじゃないですか。」と言い、「泣きながらご飯を食べていける人は生きていけます。」と寄り添う。人を支えるのは必ずしも血の繋がった家族である必要はないのだ。

『夢』『趣味』を現実、職にすることとは

そして『夢』…30過ぎて今さら『音楽でやっていきたい』と願い始めたドーナッツホールの面子に対して突きつけられる現実は当然厳しいものだ。
現実でも『趣味で弦楽器を嗜んでいます』…そう言うと世間は『まあ、高尚な趣味ですね』と笑顔を向け、批判されることはまずないだろう。しかし、ここで『やっぱり本気で音楽と向き合い音楽で食べて行こうと思います』と言い出せば周囲は表情を一変させるはずだ。何故なら、それは実際に非常に難しいことだからだ。
世間がQDHに下す評価は”三流”で、三流には三流なりの仕事しか来ない。彼らは現実を突きつけられる。
だが、このドラマはQDH4人の夢をただただ否定するわけではない。何故なら『遅くきた青春』とでも言うような彼らの姿を泥臭くもどこか輝かしく描き、温かく見守っているのだ。

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展開が読めない『カルテット』~椎名林檎作詞作曲のゾクゾクするEDテーマ『おとなの掟』とふとした瞬間に訪れる笑い

セリフの掛け合いも見事なのだが、このドラマ『カルテット』はまったく展開が読めないのだ。ありがちなパターンにあてはまらない進み方をする。

中盤まで『真紀は本当に夫を殺したのか?何故殺したのか?』という謎が物語の根幹になっているのだが、この真相が明るみになると、今度はまた思っていない方向に話が転がっていく。こんなに筋が読めなかったドラマは久しぶりだ。

毎話ラストにEDテーマ『おとなの掟』が流れるのだが、これが本当に聞いていてゾクゾクしてしまう曲で…ただでさえ先が気になる終わり方をするのに、この曲のせいで一気に不穏さが増し、胸のざわめきが止まらなくなってしまうのだ。ドラマを見ない人も、是非この曲は聞いていただきたい。『おとなの掟』は椎名林檎作詞作曲で歌っているのはなんと主演の4人である。
松たか子は『アナ雪』でその歌声が注目を集めたが、元々歌手としても美しい歌声を度々披露しており(時の舟が好き)、舞台『ラ・マンチャの男』で生歌を聞いたこともあるのだが、アルドンサの歌が本当に迫力があって凄かった。
満島ひかりも歌唱力がある人だから、とにかく二人の歌声(途中から松田龍平と高橋一生も加わる)がとても良いのだ。EDの映像も4人がとにかく格好いい。

それにも関わらず、毎回話の始まりは意外と明るくホッとする様な内容で、作品に緊張感があるからこそ、空気が緩む瞬間に仕掛けられた笑いに爆笑してしまうことも少なくない。そういった意味でも本当に”読めない”作品なのだ。

曖昧さと余韻を残すラストに思う事(ネタバレ有り)

そんな感じでこの『カルテット』は個人的に非常にオススメのドラマではあるのだが、『あまり頭を使いたくない』『すっきりハッキリ分かりやすいハッピーエンドを迎えるドラマを見たい』という人には向いていないと思うのでおススメできない。

QDHの4人が迎える結末は『みんな幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし』といった分かりやすいものではない。(以下、軽いネタバレあり)

真紀の持っていた”真実”はきっとこれからも彼女の人生に影を落とし続けるだろう。それゆえ、そんな彼女を仲間として支え続けることを選んだQDHの他のメンバー達も今後は非難と中傷の対象になり続ける。それは、当初彼らが思い浮かべていた『世間から認められる音楽家』の像から大いに外れているはずだ。

だが、彼らはそれを『上等だ』と言わんばかりに受け入れ、そんな世間からの攻撃、炎上さえも利用しようと開き直る。

ラストの全く見ず知らずの他人から送られてきた手紙をBGMにQDHの4人は夢だった大ホールで演奏を果たす。才能も若さも無いのに夢を追い続ける4人への非難と呆れと嘲り、そして嫉妬と怨嗟を滲ませたその手紙への4人の返答は、ゴミを投げつけられながらも生き生きと演奏し続けるその姿勢だ。観客の中に紛れていたであろう手紙の主は彼らを見てどう感じたのだろうか。
きっと悔しいんじゃないかな。でも、それはそんなに嫌な悔しさではないんじゃないだろうか?

ドタバタなQDH4人の恋についてもはっきりとした着地点は描かれない。全ての真実が明らかになるわけではない。でも、それでいいのだ。主題歌の『おとなの掟』でも歌われている様に、大人はなんにでも白黒つけるべきではないのだ。そして、解決しない諸問題に、叶わぬ恋に、終わりの無い夢に苦しんでいてもQDHの4人は決して不幸ではない。住処を失ってもなお輝いているのだ。

彼らの人生と演奏はこの先も続いていく。

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