【漫画】消えたママ友【感想・ネタバレ】あなたはママ友の何を知ってますか?…世にも奇妙な“ママ友”という関係を考える

つくづく”ママ友”とは不思議な関係である。
互いの趣味嗜好価値観よりも”子ども達の繋がり”によって結びつく面が多く、『同じ保育園(幼稚園・小学校)だったから』『子ども同士が仲良くなったから』というキッカケで自然と縁が発生していく。
そのため社会階層や価値観が大きく異なることも少なくなく、場合によっては互いに『この人合わないな…』と思いながらも付き合わざるを得ないこともある。

その上、どうしても子どもを介しての付き合いになるため、ビジネスライクにとは行かず細々としたやり取りをせざるをえず、一方で本当の友達ではないので本音で踏みこんだ付き合いをするのも難しかったりする。

私にも”ママ友”はいる。休日に会ってランチをしたり、子供を連れて一緒に遊んだり。保育園の行事の打ち上げでお酒を飲むことだってある。
だから、”ママ友”のことを…こういう性格だとか、ああいうことで悩んでいる…とか知った気になっている。しかし、それも子どもを通した付き合いで知った事に過ぎず、「彼女達について何を知ってるの?」と尋ねられたら3分も語ることは出来ないだろう。

今回紹介したいのはそんな”ママ友”という奇妙な関係を描いた『消えたママ友』だ。作者は 『ママ友が怖い』『離婚してもいいですか』シリーズでお馴染みの野原広子。

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Contents

あらすじ

仲良しだったママ友の有紀ちゃんが突然消えた―。

同じ保育園で仲良しのママ友の春香、ヨリコ、友子、そして有紀。保育園の後に子供達を公園で遊ばせ、お喋りに興じる…そんな平凡な日常がずっと続くと皆疑わなかった。しかし、ある日有紀は息子のツバサを残して忽然と姿を消してしまう。

美人でお洒落で商社勤務でバリバリ働く格好良いワーキングマザー。しかし、それを鼻にかけるわけでもなく、気さくで明るく優しかった有紀。穏やかな夫、ノボルと家事を引き受けてくれている姑、綾子、そして大人しく聞き分けの良い息子ツバサに囲まれて幸せそうに見えた彼女の失踪は保育園の保護者達の格好の話題となった。

有紀と仲が良かったはずなのに、何も聞かされていなかった春香、ヨリコ、友子。『仲がよかったくせに、何も知らなかった』…その事実は3人の心を激しく動揺させる。

かつて酒の場で有紀が漏らした『死にたい』という言葉、有紀の息子ツバサの『パパがママのことをぶつ』という発言、何故か有紀の携帯を持っている夫ノボル、有紀が最初から存在しかなったかの様に振る舞う姑綾子、謎の男の影…平凡な日常が崩れたことで、春香、ヨリコ、友子もそれぞれ今まで見て見ぬフリをしていた自身の心の闇に向き合わざるをえなくなっていく。

そして、有紀がいなくなってしまったことによって、仲良しママ友グループだった春香達の関係も徐々にバランスを崩していく。

一体なぜ、有紀はいなくなってしまったのか?どこに行ってしまったのか?そして、春香達はどうなってしまうのか…?

詳細なあらすじネタバレはこちら

【漫画】消えたママ友【ネタバレ・各話あらすじ】ママ友の有紀は何故消えてしまったのか…不穏なラスト・結末は…

以下、感想と考察

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日常に潜む不穏を描かせたらピカイチの野原広子

野原広子は決して絵が上手い漫画家ではない。しかし、日常に潜む不穏な空気、闇を描かせたらピカイチだ。

誰が言ったのかも分からない噂話に尾ひれがついていく様。四人グループから一人が抜けたことで生じる齟齬と不和。ママ友にも誰にも打ち明けられない各々の本音、そして少しずつ積もり重なってゆくストレス…これらを丁寧に、そして語り過ぎず想像の余地を残しながら描いていく手腕が素晴らしい。

そして、その中でも特に“ママ友”という関係の奇妙さを見事に描き切っているのだ。

互いに慎重に探り合い…話題一つ出すのにも気を遣いまくるママ友関係

“ママ友”というと『イジメ!マウンティング!カースト!』といった言葉が耳目を集めがちで、ネットニュースやレディコミなんかでもよくテーマとして取り扱われる。

しかし、現実には「よーし、保育園(あるいは幼稚園、小学校)デビューと同時にガンガンみんなにマウンティングかましてボスママ&カースト上位になって、格下をいじめてやる!オラ、ワクワクすっぞ!」みたいな戦闘民族メンタルの人間はほとんどおらず(稀にいるのかもしれないが)、大半の人がママ友付き合いについては「調子こくつもりはないので、ただ我が子共々無難にすごせますように…」と望んでいる。仲良くなりたいという思いもあるのだが、それ以上に「トラブルを起こしたくない」という思いの方が強かったりするのだ。

そのため、和やかに語り合ったり、ぎゃあぎゃあと子育ての愚痴を言い合っているようでも、どこかで互いの経済状況、家族構成、教育観を推し量りながら無神経なことは言わないようにかなり気を遣っている。よほど親しくならない限り、あるいは親しくなったとしても、立ち入った質問やナーバスな話題を出すことが難しく、当たり障りない話ばかりしかできなかったりする。何か悩みを抱えていたとしても、下手に打ち明けると話が拗れかねないため打ち明けることも難しい。

作中でも、春香、ヨリコ、友子は色んなことを喋っている様で互いに言いたいことは全然言い合えていない。例えば、春香と友子が2人で会話をしているとき、本当は互いにヨリコの娘、リオちゃんの気の強さと意地の悪さについて愚痴りたいのに、『叱ってしょんぼりする子は可愛げがあっていいよね』位に止めてしまう。

そして、やんちゃ過ぎる息子、コー君について愚痴った春香が友子の『うちの子女の子で良かった』という発言に傷付いてしまうシーン。

この描写を見たとき、本当にリアルだなと感心してしまった。

もちろん、友子のその言葉は咄嗟に出たものでマウンティングのつもりなんて皆無だったのだが、元々落ち込んでいた春香はその言葉に突き落とされる。不安だらけの子育ての中だと、ふとした会話やさり気ない言葉がマウンティングや嫌味等に捉えられかねないものになってしまうのだ。割りと無神経な私でさえ、時々ママ友との会話を思い返して「ちょっと嫌みに聞こえたかな…」なんて反省したりもする。

しかし、こういった遠慮や気遣いの結果が当たり障りのない子供を通しての付き合いと世間話をするだけの関係を作り上げ、結果的に『ママ友のことを知っているようで全然知らなかった』という状態を生んでしまうのだ。 作中、他の保護者達が有紀の噂話で盛り上がり夢中になったのは、単純に陰口やスキャンダルを楽しんでいただけでなく、普段ママ友同士で当たり障りのない会話しか出来なかった反動もあるのではないかと思う。

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どんなに仲良くしていても子供同士のトラブル等で呆気なく崩壊しかねない関係

それにしても何故ママ友がこんなに気を遣ってしまうのかというと、根底に『母親同士のトラブルが子供に塁を及ぼすのを避けたい』という思いがあるからに他ならない。

だが、それは裏を返すと『ママ友関係の良好さは子供同士の関係が良好なのが前提』と言うことが出来る。

実際、ママ友と親しくなるのは子供が仲良しになったから、あるいは子供の友達を作りやすくするため等と“子供同士の関係”が前面に来ることが多い。ある程度子供が大きくなると、子供同士は別のグループに所属したり疎遠になっても母親同士の交流は続いているというパターンもあるにはあるが、子供同士が犬猿の仲なのに母親同士は仲良し…というケースはまずない。

つまり、どんなにママ友同士気が合ったとしても、子供同士がいじめ等のトラブルを起こしたらその絆は容易く断ち切れてしまうのだ。我が子がいじめられたりなんかしたら自分がいじめられる以上にショックを受け、耐え難く感じる。子供がママ友の子に害され、それでいてママ友が全く悪びれずにいたりなんかした日には好意は一転して憎しみと化す。

そして、そのことを無意識に理解しているからこそ、ママ友達は普段から子供達の関係に神経を尖らせている。

本作はその微妙な空気をよく描けている。
例えば保育園で友子の娘、すうちゃんの靴が片方無くなってしまった”お靴事件”のシーン。
『きっと誰かがいじわるで隠したはず』『それはきっとリオちゃん』『でも、追及しちゃうとこの今の良好な関係を壊してしまう』
そう感じた春香達は一瞬険悪な雰囲気になったものの、その場を適当に誤魔化すことを選ぶ。

しかし、結果的に有紀の失踪という衝撃と彼女の不存在から来るバランスの崩れに加えて、リオちゃんのすうちゃんのへの意地悪が原因で一気に春香、ヨリコ、友子は互いに抱えていた不満が一気に噴出してしまい、”仲良しママ友関係”は破綻する。

とはいえ、『ママ友が怖い』では、ママ友同士が本当は合わないタイプなのに『子供の仲良しは自分の仲良し』と錯覚してしまったが故に起きた”ママ友いじめ”というドロドロの愛憎劇が描かれているのに対し、本作『消えたママ友』の春香達は仲違いした後は”ママ友いじめ”等のトラブルを起こすこともなくただバラバラになってしまっただけに留まる(専業主婦中心の幼稚園ママとそれぞれに仕事がある保育園ママであるという違いもあるだろうが)。かなりリアリティのある展開なのだが、だからこそその様子は一層寒々しい。

クライマックスで明らかになる有紀の失踪の原因について思う事~こういう家庭、きっとどこかにある

そして、以下、『消えたママ友』のラスト、結末について思うことを書いていきたい。

そんな感じで一度はバラバラになってしまった春香、ヨリコ、友子だが結局なんとなく仲直りし、そのタイミングで春香が移動販売のカフェの店員として働く有紀を見つける。

そして後日、有紀は春香達を夜の公園に呼び出し、自身が消えた理由を語るのだ。この夜の公園のシーンの不穏さと非日常感が凄まじい。そして、子供抜きで相対した有紀、春香、ヨリコ、友子は初めて”ママ友”の仮面を外して言いたいことを言い合う。

有紀が消えたことで感じた心細さ、悲しみ、怒りを素直にぶつける春香。

有紀に対して内心抱いていた嫉妬を吐露するヨリコ。

ママ友なんて互いに何も知らなくて当たり前だし、そこまで興味がないというドライな価値観を口にする友子。

まさに、クライマックスというべきシーンだ。

そして、有紀も自身が消えた理由、家庭の内情を正直に語りだす。優しい夫ノボルと姑綾子に囲まれ、仕事に専念できているように見えた有紀。しかし、有紀は家では綾子によって息子ツバサの育児を完全に取り上げられており、ツバサとお風呂に入った事さえなかったのだ。そんな生活の中、ツバサは当然綾子にばかり懐く様になり、有紀がそのことに不満を訴えてもノボルは『仕事に専念する君が好き』『母さんに色々やってもらってるのに不満を言うなんてワガママだ』と取り合わない。

そんな有紀が唯一ツバサの”母親”でいることが出来たのが、保育園のお迎え、春香、ヨリコ、友子と一緒にいる時だったのだ。春香達と過ごしている時は”ママ友”としてツバサの母親として振る舞うことが出来たのだと言う…。

この有紀の家の真相も中々衝撃的なのだが、こういう家庭現実でもありそうなのが怖い。(美容整形を題材にしたドラマ『クレオパトラな女たち』でもこういう家庭が描かれていたな。脳外科医の夫より月収の高い美容整形外科医の女性をで表面的は笑顔で支えるように見せて、陰では『美容整形外科医なんて医者ではない』と悪口を言う姑。しかし、その収入を当てにすると同時に、子を取り上げるような形で育児家事に参加させない)。激務の中でも何とかツバサの育児に関わろうとする有紀を笑顔で遮るノボルと綾子がただただ不気味だ。何故ノボルと綾子がこの様な事をするのか明確な動機は明かされておらず、悪意が無く『仕事が大好きな有紀が仕事に集中できるようにするため』だった様にも見えなくもない。しかし、出張先から電話を掛けてきた有紀に、電話の近くでツバサを遊ばせ声が聞こえている状態なのに『ツバサは寝てるから電話にでることができない』等、あからさまな嘘を吐くといったシーンから、有紀を育児参加させないことで、”イジメ”をしていたのだと思われる。

そして、有紀が必死に皿洗いをしてもわざわざ洗い直したり、有紀がツバサに買ってきたオモチャを捨てる綾子。その上、料理が苦手だった有紀が保育園の遠足のために頑張って作った弁当を捨ててわざわざ作り直した弁当を持たせる等、どう考えても有紀の心を傷付けるために行動しているとしか思えない(というか食べ物を粗末にするな!)。

このノボルと綾子の行動は本当に何だったのだろう。作中、ノボルの職業や年収について言及されることはないけど、商社勤めの有紀に対して何かコンプレックスがあったのだろうか。綾子も元々有紀に対して思うことがあったのだろうか。

そして、有紀も元々ツバサを産む前は『子供のことは好きじゃない』『仕事が好きだ』と公言していた手前、産んでから『仕事よりもツバサと居たい』と考えが変わりそれを訴えても相手にしてもらえず、また家事・育児を実際に任せてしまっている負い目からどんどんノボルや綾子に物申せなくなっていく様子がリアル。こういった『姑(あるいは実母)に母親役を奪われてしまう』という話は時折聞くので、現実にも珍しくないことなのかもしれない。

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不穏なラストについて~①有紀は本当に『一番の勝ち』なのか?…きっと苦労はこれからやって来る

これらの話を打ち明けた有紀は今までの見せたことの無いような笑顔を春香達に見せる。真っ暗な背景に破顔する有紀。シンプルな絵柄なのにこのシーンは本当にゾクゾクする。そして、この有紀の告白をもって、公園の密会は終了するのだが…。

上手いと思うのが、有紀の語ったこの話が“全て”ではないこと。本当に、人というのは自分に都合の良いことしか話さないもの…野原広子の描く人間の狡猾さは徹底している。

有紀の話にはもっと続きがあった。

ツバサの育児を取り上げられ家に居場所がない有紀はその孤独さから、ツバサの好きなキャラクターの看板に惹かれ、ある日出来心でパチンコ店に足を運んでしまった。そして、そのままハマってしまったのだ。

『ちょっと位負けても大丈夫』『私は稼いでいるから』…そう誤魔化し続けた有紀だったが、気が付くと多額の借金を抱え込んでいたのだ。

そして、失踪の顛末は借金がノボルと綾子にバレる前にツバサを連れて逃げ出そうとしていたところ、アッサリと全てがバレてしまい『借金は全額返してやるから出ていけ』と追い出されてしまったという、あまりにお粗末なものだったのだ。有紀は『私の産んだ私の子、私から取らないで』ツバサを連れて行こうとしたが、ノボルに『この恩知らず』とビンタされて終わったのだ(これがツバサが春香に漏らした『パパがママをぶった』の真相)。

そして、その後有紀はパチンコで出会ったシングルファザーの家に転がり込み、移動販売車のカフェの店員として生計を立てている。

穏やかなシングルファザーと自身を母親のように慕ってくれる娘”ふうちゃん”との生活で、望んでいた“ママ”として振る舞えることに幸せを感じる有紀は内心で『自分が一番の勝ちだ』とほくそえんでいる。ママ友だった春香、ヨリコ、友子達の誰よりも自分が幸せになることができたと感じているためだ。

…でも、それはどうなのだろうか。確かにノボルと綾子にツバサを取り上げられる生活は地獄だっただろし、そこから逃れることが出来た今、有紀はシングルファザーと”ふうちゃん”との生活に安らぎと幸せを感じている。

しかし、どういった形であっても”家族”を持ち”生活”をしていく上には何らかのしがらみや悩みが発生していく。有紀ほど特殊なものではなかったにせよ、春香、ヨリコ、友子がそれぞれ苦しみを抱えていたように、有紀もこの先本当に家族…”妻”や”母親”としてシングルファザーや”ふうちゃん”と向き合っていくならばそれなりの困難がが待ち構えているはずだ。”家族”、”育児”、”生活”において誰かと比較して『一番の勝ち、幸せ』なんてものはありえない。幻想だ。

そもそも、仕事大好きで商社でバリバリ働いて身ぎれいにしていた有紀が『部屋は狭くてお金はないけど幸せ』といつまで思い続けられるのだろうか。ノボル達から家を追い出された直後、どういうわけか商社も辞めてしまっているようだが、本当にそれで良いのだろうか。今の有紀は今までの反動で春香達の様な『平凡な母親ごっこ』を楽しんでいるだけにしか見えない。そのためか、ラスト間際の住む生活感の溢れるアパートの風景は平和そうなのにどこか空々しさと不穏さが漂う。

有紀が”消えた”結果、本当に幸せになれたかどうか…それはこの先にならないと分からない事なのだ。

不穏なラストについて~②歪みと闇が集約されてしまったツバサ君について…『こういうの好きでしょ?』

そして、さらに不穏なのは安西家…有紀の夫ノボルと姑綾子の元に残された息子ツバサの様子だ。

春香の息子コー君と同じ男児であるものの、やんちゃ過ぎるコー君と違って大人しく手のかからなかったツバサ。もともとおばあちゃんっ子だったこともあり、有紀の失踪に激しく取り乱すこともなかった。しかし、有紀が消えた直後から『パパがママをぶった』と言ったかと思えば『ママなんてそんなのいいよ、バカだもん』と語ったり、春香に対して『キレイなおくつふんでいい?』と不穏な発言を繰り返す様になる。

そして、ラスト、祖母である綾子に対して”プレゼント”と称して頭をもがれた虫の死骸が大量に詰まった箱を渡す。そして、中身を見て仰天する綾子とノボルに対してこう言って笑うのだ。

『そういうのすきでしょ?』と。

そもそも、有紀が消える遥か前に起った友子の娘、すうちゃんの靴が片方無くなる”お靴事件”の真犯人であることも明らかになる。工作のオイモの中に入っており、『すうちゃんのための特別なオイモ』とプレゼントしたことから、悪意はなかったように見えるが、全てが露見するとツバサは秘かに『バレたか』と呟く。有紀が失踪するはるかに前からツバサの心は相当病んでいたのだ。また、作品を読み返すとツバサは有紀の失踪直後から虫の死骸を集め続けていることが分かる。

祖母が育児に主体的に関わることそれ自体は決して悪いことではないだろう。しかし、祖母である綾子は意図的に母親である有紀をツバサの育児から遠ざけ、有紀を苦しめていた。ツバサはそんな綾子に懐いていながらも、有紀が苦しめられていることもよく理解していたのだろう。

そして、祖母綾子は有紀がいなくなるとこれ幸いとばかりにツバサに自身のことを”あーちゃん”と呼ばせ、春香達にもそう呼ぶように求める。そして、母親達の交流に積極的進出してきてかと思えば、ガツガツとマウンティングをかましてきてきて、春香達をドン引きさせる。こんなばあちゃん嫌すぎる。

そもそも、綾子はとても人の良さそうな笑みを浮かべながら、かなり狭量で自分の価値観を押し付ける人物だ。有紀の作ったお弁当や買って来たおもちゃが気に食わないと平然と捨てる。それはツバサに対しても同じで、ツバサがコー君からもらった折り鶴も見るや否や『下手くそ』『こんなのダメ』と言って潰してゴミ箱に捨ててしまう。子供相手だろうがなんだろうが自分の価値観に沿わないものは全否定なのだ。…ノボルの事もそうやって育ててきたんだろうな。恐ろしい。そんな綾子に育てられるツバサは確実に歪んでいっている。

虫の死骸を集めては頭をもぎ取り続けていたツバサ。別にノボルや綾子が直接何かの頭をもぎ取るようなことをしているわけではない。しかし、ノボルや綾子が有紀にしていた仕打ちは、ツバサから見ると『虫の頭をもぎ取る』様な行為に見えていたのだろう。そして、綾子やノボルが”そういうこと”が好きな人達だと。

今後ツバサはどうなってしまうのだろう。夜の公園で春香達が有紀と会ったと知ったツバサは春香に『ママ、笑ってた?』と尋ねる。春香は『うん』と答えるがそれに対してツバサがどんな表情を浮かべたのかは描かれていない。

ツバサは安西家から解放された有紀が笑っていたことについてどう思ったのだろうか。幸せそうだと知って安心したのか。それとも自分を置いて一人幸せそうにしていることに怒りや悲しみ、寂しさを覚えたのか。

確実に言えることは、有紀はシングルファザーと”ふうちゃん”との生活に現在満足しており、ツバサのことを思い返したり、ツバサを取り戻したいとは思っていないという事。現実的にツバサを引き取るのが難しいということもあるし(裁判で親権を争っても勝算は低い)、家から追い出された日にツバサが綾子にしがみ付いたのを見て、諦めてしまったのだ。

恐らく今後、ツバサが母である有紀と会うことはないだろう。そして、ツバサは綾子とノボルの元で育てられる。頭の無い虫の死骸と『そういうの好きでしょ』発言で綾子とノボルがツバサへの接し方を反省してくれれば良いのだが…。

(ちなみに、表紙、背表紙ともにツバサは笑っていない。背表紙では有紀とツバサは他の皆にはない影が描かれており、カバーを外すと公園のブランコの前に正反対の方向を向いている有紀とツバサがいる)

不穏なラストについて~③今度はヨリコが消えてしまう??誰もが持っている逃避願望について

そして、ラストを最も不穏なものにしているのが、ヨリコの失踪を示唆する最後のコマだ。有紀に次いで、今度はヨリコが消えてしまう…そんな不吉な予兆を残して本作は幕を閉じる。

少々気が弱く何かと不安を抱きがちな主人公春香や、秘かに夫との離婚を計画していどこか冷めている友子でもなく、しっかり者で正義感が強いヨリコが、だ…。ここが本当に上手いと思った。

四人の中で唯一二人目育児なこともあって、良くも悪くも自信と開き直りがあったヨリコ。元々、良い大学を出ていた自負から子育てと夫実家の店の手伝いで忙殺される現状に不満を抱いており、お洒落に気を遣って商社でバリバリ働く有紀に対して『本当だったら私だって…』と嫉妬をしていた。しかし、実際は姑や店にやってくる年寄りの客たちを上手くあしらっており、子供達相手に苛立つことはあっても『それなりに幸せだ』と感じており、『逃げる理由もない』と思っていた。

コー君の育児に手一杯の春香や夫と将来どうなるか分からない友子と違って、ヨリコは『何だかんだと店番をしながら子育てを続け、介護問題等に向き合いながら年を取り、苦労しながらも幸せな一生を終える自分』という将来像がハッキリと見えていた。

だからこそ、ヨリコの心には『つまらない』と思える心の隙が生まれており、『有紀のように逃げてみたい』という魔の囁きが忍び寄ってきてしまったのだ。案外、本当に目の前にどうにかするべき課題があると、人間は”逃げる”という発想が出て来なかったりする。ヨリコはそれなりに満たされており、有紀のことに思いを馳せる余裕があったからこそ、自分の逃避願望に気付いてしまったのだろう。

人は誰しも心のどこかに逃避願望を抱えている。今いる環境への不満、変身願望、隠されていた欲求…それが今いる場所ではないどこかへと心を掻き立てる。そして、平素はそんな自身の隠れた願望に目を向けないし、気付いたとしても理性やしがらみがそれを抑える。

しかし、案外誰かに後押しされてしまえば、人はアッサリ逃げ出してしまうのかもしれない。店番をしている最中に有紀に思いを馳せて、思わず『逃げたい』と呟いてしまったヨリコ。多分、それだけだったらヨリコはモヤモヤしながら椅子に座り続けていただろう。だが、その声を聞き逃さなかったのが、ヨリコの店に頻繁に出入りしていた宅配の青年だ。青年はヨリコの独り言に対し、『逃げちゃいます?』と言って微笑みかける。そして…

その後、姑が店番しているはずのヨリコに『ヨリコさーん、ヨリコさーん』と呼びかけるのだが、その声に答えるものは誰もいなかった。

それは、たまたまヨリコが席を外していただけなのか、それともヨリコは本当に宅配の青年と”消えて”しまったのか…。その判断は読者に委ねられるのだ…。

まとめ~”ママ友”の特殊さに焦点を当てながら、日常に潜む闇をあぶり出したサスペンス

どんなににこやかに付き合っていても、その人の本音や家庭が抱える問題なんて分からないし、知りようもない…当たり前のことなのだが、ついつい忘れがちなそんな事実を本作は”ママ友”という関係の奇妙さに焦点を当てながらじっくりと描いている。『ママ友がこわい』や『離婚してもいいですか』シリーズがそうであったように、野原広子氏は日常に潜む闇を描くのが本当に上手く、子供を持っている人は(特に女性は)登場人物の誰かしらに感情移入をすることができるのではないか。

ただし、野原広子氏の作品の多くがそうであるように、決して読んでいて明るく楽しい気分になれる作品ではなく、心に何とも言えない引っかかりが残るので落ち込んでいる時には読まない方が良いかもしれない…。特に本作はサスペンス・ミステリー調なところもあり、ブラック要素が強めだ。

だが…個人的な話になってしまうが、現在“アラカン”の私の母はガッツリとした”ママ友”付き合いをするタイプで、幼い頃はママ友付き合いに奔走する母を見て子供ながらに「うわあ、面倒臭そう」と思っていた。楽しそうな時も多かったが、トラブルも度々あって、その都度巻き込まれた母はしんどそうにしていたからだ。

そして、母は私が成人し家庭を持った今、当時のママ友達と疎遠になるどころか、前以上に頻繁に遊びに行ったり飲み会したり旅行したりと楽しんでいる。子供達同士が疎遠になっているにも関わらずである。

恐らく、子どもを介する必要が無くなった分気兼ねが無くなって気楽に付き合えるようになったのだろう。そして、共に子育てを乗り切ったという思いからか、もはや“ママ友”というより“戦友”といった間柄になっている。子育てや病気、介護、夫との離婚や死別…それらを愚痴り相談し合い、支え合いながら乗り切ってきたおば様方の絆は非常に強い。

”ママ友”というと世間ではしがらみの塊の様な論調で語られることが多いが、しがらみも縁のうちである。気も遣うし、拗れると厄介なことにもなるママ友。しかし、時に夫以上に子育ての辛苦を支え合うこともできたりする。本当に奇妙な関係なのだが、そこから生まれるのは闇ばかりではなく、時に心の支えとなる光もあったりする。

本作の春香達の縁はそう永くないことが示唆されているが、彼女達ももしかしたらいつか、本当の友情を築き上げることができる”ママ友”に出会えるかもしれないのだ。

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