【漫画】呪詛抜きダイエット【感想・ネタバレ】太っているのは毒親達からの呪いのせい!?自尊心を取り戻すことで過食を止めた、エッセイ漫画

呪詛抜きダイエット 表紙

ダイエットを題材にした名作に安野モヨコ氏の『脂肪という名の服を着て』というマンガがある。

肥満体の主人公のOLは何事にも自信が無く、卑屈で過食癖があった。そんな彼女は美人でスレンダーな会社の同僚からバカにされるだけでなく、ついに恋人まで寝取られてしまう。同僚や恋人達を見返したいと思った主人公はあるエステティシャンの元を訪れ、厳しくも丁寧な指導を受け、痩せ始める。しかし、焦った主人公はエステティシャンの指導を無視して、食べたものを吐くという安易な禁じ手に頼るようになっていく。

結果、主人公は激ヤセするが、望んだような幸せはやって来ず、最終的に恋人も職も失ってしまった。それからしばらく経ち、エステティシャンが再会した主人公は元の肥満体に戻っていた。現状に満足しているようで、どこか空虚な主人公を見送ったエステティシャンは言うのであった。『あの子、また繰り返すわね。だって心がデブなんだもの』と…。

『肥満の心因的な部分の大きさ』『摂食障害の根深さ』といったことを突きつけたこのラストのセリフは社会に強い衝撃を与えた。

では、『心がデブ』とは具体的にどういうことなのか、そして、どうすればそれを解決出来るのか…それを上手く描き、“心が痩せる方法”を綴ったのがこの、『呪詛抜きダイエット』だ。

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Contents

あらすじ

『太っていることが嫌なのに、どうして太っているんだろう』

肥満体の自分に強いコンプレックスを持っているエイコは、それが原因で化粧やお洒落を出来ないだけでなく、鏡すらまともに見られない。しかし、痩せればいいと分かっているのに、何故かダイエットをする気になれず、憑りつかれたかのように暴飲暴食を繰り返していた。

しかし、自身の暴飲暴食が『過食』であることを知ったエイコは過食の原因が毒親達から植え付けられた『呪い』であることに気付く。

女性として成長し、痩せたりキレイになることを止める呪詛を毒母、祖母、叔母達から掛けられていたことに気付いたエイコ。

運動や食事制限の前に、まずはこの呪詛を抜くために行動を起こしていく。

本作のテーマは『過食』と『毒親達から掛けられた呪い』

先に述べておくが、このエッセイ漫画は具体的なダイエット方法はほとんど出てこない。しかし、『自身の身体にコンプレックスを持っているのに、ダイエットや美容に苦手意識を持って向き合えない』という”ダイエット以前”の状態の人は何かしら得る物があると思う。

本作の主なテーマは『過食』と『毒親達からの呪縛』の2つだろう。まず、エイコは自身が『過食』であることに気付き、そしてその原因が『母、祖母、叔母達に刷り込まれた呪詛』であることに向き合っていくのだ。

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拒食より軽視されやすい”過食”という病理

過食は拒食や嘔吐とセットになっていると、『病的』『摂食障害』と自他共に気付きやすいが、『過食』単体だと、『沢山食べるね』で片付けられてしまいがちである。実際に普段の食生活は共に生活するなど、かなり親しくないと他者から見えないものだし、食べる量も人それぞれだ。そして、肥満自体が何かと『本人の自己管理不足・だらしなさが原因』と片付けられがちなのもあって、障害として理解してもらえないことが多い。

そのため、エイコ自身も『自分は沢山食べてしまう』という位の認識で、更に身近に過食嘔吐を繰り返す知り合いがいたため、『吐いたりしてない自分は摂食障害じゃない』と思ってしまう。だが、エイコは食事を楽しんでいるわけではない。考えることから逃れるように、何かに憑りつかれたかのように延々と食べ続けてしまうのだ。

そして、エイコはそんな自分の食べ方は『ヘンだ』と気付く。

まるで「太っていたい」と体が思っているような…

呪詛抜きダイエット 田房永子 26/132

『自分がどうしてこんなに食べてしまうのか、理由をつきとめないと治らない』…そう気付いたエイコは心療内科、催眠療法、人格統合療法、箱庭セラピー、ゲシュタルトセラピー等、色んな施設や療法を巡り試していく。

実際のところ、セラピー系は当たりはずれが大きく、エイコも怪しげなヒプノセラピーややる気の無さそうな精神科医に当たってしまって『そんなの拒食症じゃない』と適当にあしらわれてしまったりもする。そして、こういった療法はいわゆる”スピリチュアル”と紙一重な所もあり、受け付けない人はとことん受け付けないだろう(個人的には人格統合療法は納得できるのだが、”前世を見る”については『うーん…』と思ってしまう)。

だが、エイコは時に失敗したりしながらも、様々な療法を通して『やはり自分は過食症で、体が何か目的を持って太ろうとしている』と確信し、その原因に向き合っていくのだ。

毒母達がエイコに掛けた呪いとは?鏡で自身の姿を見ることも、化粧をすることも出来ないエイコ

自身を見つめ直すのに、催眠療法(ヒプノセラピー)にハマったエイコは知人に勧められてUSTP(人格統合)治療を受ける。それは、過去にストレスを感じた時に抑え込まれた感情(…抑え込んだがゆえに分裂してしまった人格)に向き合って、トラウマを解消する(人格を統合する)というものであった。

人格統合治療によって『役所に書類を提出することに恐怖感を覚える』という事の原因を知り、そのトラウマを見事に解消することが出来たエイコは、今度は『何故自分は太ろうとしてしまうのか』という原因を探っていく(この”書類のトラウマ”の話も中々酷い)。

そもそも、『太っている』ということを知ってはいても、エイコは客観的に自分がどれだけ太っているかも分からない。何故かと言うと、エイコは肥満云々以前に自分で自身の姿を『みじめだ』と感じてしまってまともに見ることが出来ないのだ。他人の結婚式でゲストとしてメイクアップすることすら『太っているから人に見せられる体じゃない』と卑屈になり、全然楽しめないエイコ。

『何故、太ろうとしてしまうのか』『何故、自身をみじめだと感じて着飾ることができないのか』…催眠状態でそのことを探ったエイコは意外な過去に行きつくのであった。

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エイコがお洒落を出来ない原因は”修学旅行のパジャマ事件”!?

『何故太ろうとし、着飾る事にみじめさを感じるのか』…エイコがそれを催眠状態で突き詰めた時に浮かび上がってきたのは、なんと小学5年生の遠足の集合写真であった。エイコはそこで、一人だけパジャマを着ていて、恥ずかしそうに体を隠しているのだ。

小学5年生の修学旅行の際、エイコの母は、何故かエイコにパジャマの上下を着ていくように強要し、逆らえなかったエイコは恥ずかしさと”みじめさ”に体を縮こまらせていたのだ。

…嫌がる小学5年生の娘に修学旅行にパジャマ着せて行くとはどういうことだろう。本気で理解に苦しむのだが、『母がしんどい』等の他の作品でよく分かるが、エイコの母親は本当におかしいく、理由もなく娘を振り回す人なので、これくらいの娘への嫌がらせは序の口なのだ。

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母のこの行動は”イジメ”でしかなかったと冷静に思い返すエイコ。しかし、当時まだ子供だったエイコは『お母さんにいじめられている』という事実を受け入れることが出来ず、自身にこう言い聞かせていたのだ。

お母さんにヘンな服を着せられてるからじゃない。私がもともとみじめだからみじめなんだ

呪詛抜きダイエット 田房永子 53/132

そう思わないとやっていけなかったのである。そして、エイコは大人になった今でも『母にいじめられていたわけじゃない』と思い込むために『みじめじゃなくてはならない』という思いが無意識に産まれ、来たい服もそもそも着れない様に、”似合わない体”になるために自身が食べ続けている事に気付くのであった。

この”気付き”のシーンは正直ゾッとした。作品序盤でエイコが肥満になったのが小6の頃と語られているのと辻褄が合うのだ。

この、『太っていることを何かの言い訳、逃げ道にする』というのは決して珍しい事では無いのだと思う。『食べる』という行為がストレスの解消になるのと同時に、『太っている』という状態は物事を諦める言い訳になる。

冒頭に挙げた『脂肪と言う名の服を着て』の主人公は幼少期から肥満体だったが、作中、その原因が優秀で美人な姉へのコンプレックスであることが示唆されている。肥満は美人な姉と比較されたことのストレスが原因で、そして、それに対して『太っているから勝てなくても仕方がない』と無意識に肥満を逃げ道にしていたのだ。
この『呪詛抜きダイエット』のエイコが母からのイジメから目を逸らすために太るのと構造は似ている。

小学校5年生のパジャマ姿の自分に素直に悲しんで怒って良いと伝えたエイコ。この過去の悲しみに直面することは辛く、エイコは号泣するも、不思議な事に翌日から全くカロリーの高いものを食べたくなくなるのであった。

孫娘が女として美しく成長することを阻害する、祖母からの呪縛

自身がみじめであると思い込むキッカケを知ったエイコはヨガを始める等して少しずつ美容や運動に向き合っていく。完全に呪詛が消え去った訳では無く、度々落ち込んでは再び過食に走ってしまったりもするがヨガやゲシュタルトセラピーで呪詛を抜き、心を穏やかにしていくのだ。(このゲシュタルトセラピーの部分については『キレる私をやめたい』で詳しく描かれている)
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そして、自分の中に美しく楽しく過ごす事への抵抗があることを感じたエイコはそれを解消するためにゲシュタルトセラピーでその理由を辿ろうとする。『美しくなれないのも、きっと母親のせいだろう』と思っていたエイコ。しかし、意外な事に美しく楽しく過ごすことへの枷となっているのは祖母の存在であることに気付き、動揺するのであった。

エイコの話を聞いてくれず、勝手に干渉して振り回す母と違って、祖母は優しくエイコの話を聞いてくれて応援してくれたはず…そう思うエイコ。しかし、思い返すと祖母は他人のダメな部分ばかりに注目し、エイコがダメであればあるほど喜び、決して褒める事はなかったのだ。

『おばあちゃんに楽しんでもらうためにダメな私でいる必要があった』と気付いてショックを受けるエイコだったが、それを自覚したことで気が晴れて、『私は私が気に入る私になる』とメイクレッスンやエステに通う事が出来る様になるのである。

…一見楽しく話している様で、人のダメな話、悪口でしか盛り上がれない人って結構いると思う。勿論、誰しも愚痴や悪口を言うものだけど、徹底して人を褒めない、ポジティブな事を言わないという人種がいるのだ。そういう人って案外話し上手で明るくて、話しているその場は楽しいのだけど、後から何とも言えない毒が回ってきたりする。田房永子氏の著書を読むと、祖母と叔母はそういうタイプの人なのかな…等と思う。

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心配とマウンティングの境界…肥満をチクチク指摘してエイコの自尊心を削る叔母

そして、本作でエイコにとっての最後の”刺客”は叔母(母の妹)である。気性が激しく過干渉な母親に振り回されて苦しむエイコにとって、祖母と叔母はエイコの母の身勝手さを理解し、幼少期から支えてくれる数少ない存在でもあった。

だが、叔母はエイコが母と絶縁を決めると一度は理解を示したのに、すぐに『いつまで親から逃げるの』『大人になりなさい』とエイコを詰る。

エイコはそんな叔母の言葉にショックを受け、不快な気分にさせられても『今までも可愛がってもらってきたから』『自分のためを思ってくれてる』と叔母を擁護して関係を絶つことができない。

そして、叔母はことあるごとにエイコの肥満を指摘し、エイコの“みじめさ”を刺激してくる。会う度に『すごい肉付き』とにこやかに言い、共に食事をすると、普通に食べていても『よく食べるね、お母さんみたいに太るよ、いや、もう太ってるか』と言い、食べるのを控えると『ダイエット中?太ってるもんね』と言うのだ。そのため、エイコは叔母との食事が苦痛であったのだ。

しかし、“呪詛抜き”して少しずつ自分を磨いて自信を培ったエイコは叔母から食事に誘われても怯えることなく堂々と食べることができた。すると、叔母は何も言ってくることなく、エイコは初めて叔母との食事を楽しむ。

叔母さんとこんな関係になれるなんて』と清々しい気分で帰宅したエイコ。すると、携帯に叔母からのメールが届く。そこには『今日はありがとう。楽しかった。だけどエイコちゃん、太りすぎだと思うので食べる量を減らしてください。心配です』と書かれていたのだ。

楽しい気分からどん底に突き落とされたエイコ。叔母は何がなんでもエイコに『太っている』と言わずにはいられないのだ。エイコが過食を辞め、ヨガやエステやメイクをして、痩せてキレイになってきているのに。

…このやり取りを見て『叔母さんはエイコを心配して言ってるんだから』『親しみをこめてからかっていただけ』と言う人もいるだろう。叔母自身も悪意を持っているつもりは無いのかもしれない。

しかし、この叔母の肥満をしつこく指摘するという行為は例えそれが事実であったとしてもエイコの自尊心を削る行為であり、エイコを下に見る、マウンティング行為だ。

マウンティングも一種の“呪詛”なのだ。一見相手を心配するように見せ掛けて、その裏には『相手が“心配な状態”であってほしい』というマウンティング願望があることも少なくない。…その“心配”、“おせっかい”と“マウンティング”の境界は難しいところであるのだけど。

私にも会うたびに『やつれた?痩せた?』『疲れてない?ストレス溜まってそう』と言ってくる知人がいて、私も最初は心配してくれているのだと思っていた。だが、ある時、『ああ、この人は私に疲れてげっそり痩せこけた人間でいて欲しいんだな』と気付いて、距離を置くようにした。延々と『大丈夫?』と言われ続ける方がよっぽどげんなりして疲れるのだ。

母、祖母、叔母よりもキレイで楽しく過ごしてはいけないという呪詛を自分に掛けていたことに気付いたエイコ

叔母からのメールはエイコを傷つけるが、逆にエイコは『もう、あの人達(母、祖母、叔母)はどうでもいいや』と気持ちが吹っ切れる。そして、今まで自分が楽しいことをしたりキレイになろうとするのに罪悪感を覚えていた理由が、三人への“遠慮”であったことに気付く。

3人よりもキレイで楽しく華やかで、自由でお金持ちで美しく幸せな女になっちゃいけない

呪詛抜きダイエット 田房永子 117/132

エイコは自分に自分でそんな呪詛を掛けていたことに気付く。母、祖母、叔母の3人は単純に仲が良い訳ではない。だが、幼く未熟なエイコに愛情を注ぎ、世話を焼くことでこの3人の関係が上手く行っていた時があった(“子はかすがい”の親族バージョンだろう)。そして、エイコを含めた4人はどこかでその時の関係を引きずっていて、母、祖母、叔母、そしてエイコ自身も『エイコは未熟であらねばならない』と呪詛を掛けていたのだ。

その呪詛から解き放たれたエイコは突然、今までしようとしても出来なかったウォーキングが出来るようになり、一気に痩せ始めるのだ。

呪詛は社会全体に蔓延っている~自分に合ったキレイを見つけ、真の“ダイエット”をするために

自尊心を傷付け、キレイになるのを阻害する呪詛を植え付けるのは何も近親者達だけではない。社会が持つ『太っている人は自己管理が出来ないだらしがない奴』という過度に厳しいイメージは、『太っている人はみじめ』という呪詛に繋がる。男性、そして女性からも公然と『おばさんは若い女より価値が無い』という呪詛は発せられているし、美を商売にするエステティシャンですら『一定の体型じゃないと美しくない』といった呪詛を放つ人もいる。そして、生きている限りそういった様々な呪詛にはさらされ続け、毒されてしまうものである。エイコもそういった他者からの呪詛に何度となく打ちひしがれる。

しかし、そんな呪詛、呪縛があっても、自分の心の在り方を意識し、“呪詛抜き”をしていけば、ちゃんと立ち直れる。エイコは『私は私が気に入る容姿になればいい』と思えるようになり、そして過去の自信が無かった頃の友人達と撮った写真を見て、『みんな可愛い、私も醜くなんてなくて可愛かった』と思えるようになったのだ。呪詛が抜けた途端、今までと物事の見え方が全然変わったのだ。

まとめ~ダイエットやキレイになることに拒否感、嫌悪感、罪悪感を持つ人にオススメ

繰り返すが、この『呪詛抜きダイエット』では具体的な食事制限方法や運動の仕方はほとんど載っていない。

しかし、コンプレックスや、幼少期、思春期に周囲から容姿を否定されたことで『着飾ることに嫌悪感、罪悪感を持つ』『私なんかが美容に興味を持つべきではない』『私がお洒落なんかしたら周りに笑われるに違いない』といった意識を持ってしまっている人…結構いるのではないか?

そういった人には是非とも読んでほしい。『自分は醜くてみじめ』なんて言うのは周囲、そして自分自身が植え付けた“呪詛”にしか過ぎないのだ。

意識、そして無意識が身体に、そして物事の見え方に及ぼす影響は大きい。“呪詛”が抜けて鏡を見ると、きっと自分が全然違って見えるはずだ。そして、そうなって初めて自身に合った本当の“ダイエット”を見つけられるはずだ。

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