【漫画】お母さんみたいな母親にはなりたくないのに【感想・ネタバレ】しんどい毒母の影響に不安、苦しみ、辛さを抱えながらも手探りで子育てをする渾身のコミックエッセイ

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに

『母がしんどい』で『子どもの成長や自立を阻害する親』の存在を社会に知らしめた田房永子氏。その後も『娘の人生を支配しようとする母親』を精力的に描き分析し続けている。そんな彼女が女児を産み、“娘の母親”として悩みながらも模索する様を描いたコミックエッセイがこの『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』だ。『ママだって人間』が妊産婦の心身が中心的に語られているのに対し、この『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』は育児、子育てを中心に描き、その過程で”しんどかった母との関係”を見直していく様子が丁寧に描かれている。

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Contents

以下、あらすじ~『母がしんどい』の田房永子氏が『女の子のママ』になる!?

”しんどい母親”と癖のある父親に苦しめられながらも、ようやく距離を取ることができたエイコは妊娠する。『女の子を産んで、”母”と”娘”という一対一の関係になるのが怖い』と怯えるエイコであったが、授かった子どもは女の子であった…。

出産後の感性の激変、急に湧き上がる『母親に娘を見せたい』と言う気持ち、娘の趣味・好みを受け入れがたく感じてしまう感性、子どもに冷徹な態度を取る母親に抱いてしまう怒り…『お母さんみたいな母親にはなりたくない』という気持ちを抱きながら、エイコは手探りで自分らしい子育ての方法を模索していく。

以下、ネタバレと感想、考察

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ペットの飼育と育児・子育て…別物だが、共通する事、学べる事は沢山ある

子育てとペットの飼育は互いに引き合いに出されることが多く、特に子育てを語る場合においては『子育てと犬猫の飼育は似て非なるもので、遥かに子育ての方が難しく責任重大だ』と言うために比較対象とされることが多く、それゆえに『子どもをペット扱いしている』といった言葉があったりする。

確かに、子育てとペットの飼育は別物だ。だが、別物ではあるものの、ペットの飼育は子育てに通じるものがあり、子育てのために大切なものを培うことができる…私はそう考えている。個人的な話になってしまうが、私自身も長女を出産する数年前から猫を2匹買っているのだが、子育てをする前にこの2匹と出会えていて本当に良かったと思っている。幼少期からハムスター、文鳥、犬等を実家で飼っていたが、自分1人で主体的に世話をしたのはこの猫が初めてだった。この、『自分より明らかに弱くて、喋ることが出来ないものを庇護し、育てる』という経験、『叱ったってどうしようもならない、躾きれないことがある』というある種の諦観、そして、『ただただ愛する』ということ…猫2匹との出会いを通してこれらを学べたことは、私の人生と子育てに大きな影響を与えた。

本作ではエイコは文鳥の世話を通して、自身と母親の関係を見直し、母親の奇妙な行動の原因の一つを悟り、『子どもが生きる力を信じて適切な距離を保つ』という大切なことを学ぶ。

最初の妊娠をした時、エイコは『生まれてくる子供が女の子だったら、”母と娘”という一対一で向き合うことになり、無条件でお母さんと私みたいな親子になってしまうのでは』と怯え、『母と似ているところを直そう』と医療機関・カウンセリング等を巡っているうちに10週で流産してしまう。

すると、エイコは“なにかを育てたい欲”が沸き上がってきて衝動的に文鳥のヒナを飼い始める。だが、『この子も10週で死んでしまうかもしれない』と不安に思ったエイコは“健康診断”のために何ヵ所も獣医を訪ね、夜も鳥かごの前から離れられなくなる等、重度のノイローゼ状態に陥ってしまう(ペットの飼育でノイローゼになるのは実は珍しい事ではない)。そして、『鳥よりもエイコさんが心配だ』と言う夫に『死んでもいいの!?赤ちゃんのこともどうでも良かったんでしょ!!』と怒ってしまい、ますます文鳥の世話に取り憑かれてしまう。(直接言及はしていないものの、流産で深く傷付いたことが察せられる)

そして、エイコの献身的な世話の結果、文鳥のブンちゃんはすくすく育ち、部屋の中を飛べるようになった。

だが、エイコはそんなブンちゃんに『飛ぶな』と念じてしまう。壁にぶつかったら…テレビの裏に落ちたら…等々と心配になってしまうからだ。そして、イキイキと楽しそうに部屋の色んな場所に行こうとするブンちゃんに苛立ち、カゴから出したくないと思うようになる。

私はこれだけしてやってるのに!!勝手なことして困らせないでよ!!

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 28/133

そんな理不尽な怒りを抱いてしまったエイコだったが、その感覚に既視感を覚える。それは、エイコの母がエイコに向けていた怒りによく似ていたのだ。

友人との旅行や一人暮らし等、エイコが家以外の場所で楽しもうとしたり自立しようとすると、怒りだし邪魔しようとしてきた母。エイコはそんな母の言動の理由が分からず困惑するしかなかったのだが、その原因の一つが分かったような気がした。

それは『心配させないで、困らせないで』という気持ちが転じて『こんなに心配してあげてる私を忘れて自分一人だけ楽しむなんてズルい』という感情だったのだ。

文鳥相手に嫌だった母と同じ行動を取っていることに気付いたエイコは、ブンちゃんと距離を置く。すると、冷静になれたエイコはブンちゃんがちゃんと考えて危険を避けて冒険をしていることを理解する。

自分が健康でいられる範囲で相手と接する
それが、一緒に生きてくってことなんだ

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 32/133

そう考えたエイコは『ブンちゃんの生きる力を信じよう』と思えるようになった。そして、エイコも落ち着き、ブンちゃんも成長していく。

『相手の生きる力を信じて、自身の心身を害さない様に適切な距離を保つ』…ブンちゃんの世話を通して大切なことを学んだエイコは、この4年後エイコは女児を出産するのだ。

子育ての喜びを分かち合いたい…娘の出産を機に両親と交流を再開しようとしたエイコだったが

娘Nちゃんは可愛くてたまらず、エイコの毎日は幸せでいっぱい!…のハズだったのだが…。エイコは何かを一方に吸い取られている様な疲労感が溜まっていくのだ。

…これは物凄く共感できる。子どもの世話、特に乳幼児とのコミュニケーションはまだまだ一方通行なので、与えることがほとんどのため、生命力が磨耗していく。そして、その磨耗した生命力は誰かに褒められ、労られ、子育ての喜びを共有し合うことで“チャージ”されるのだ。

磨耗したエイコは“お母さん”的存在に甘えたいと猛烈に願うようになる。もちろん、エイコのお母さんは癒してはくれないので、エイコの頑張りを認め、甘えさせてくれ、他人には言えない娘のかわいさ自慢を受け入れてくれ、娘を一緒に可愛がってくれる…そんな理想の“お母さん”を夢想し恋しがるようになっていく。

しかし、それは空想の存在で現実にはいない。弱ったエイコは『しばらく会ってないし、もしかしたら変わったかも』と思い、母にメールし、会うことにするのだ。

親戚達や夫を交えたお食い初め以来、両親と会っていなかったエイコ。両親とNちゃんと4人で会うことになり、エイコは不安と緊張の中、両親と外食する。しかし、久々の対面は問題なく終わった。両親は疎遠になれていることから何かを学んだのか、エイコNちゃんに気を遣ってくれ、傷付けるような事を言ってこなかったのだ。人生で初めて親から気を遣ってもらったエイコは『親に気遣ってもらえるとこんなにも楽なのか』と驚き、また会う約束までして別れるのだ。

帰宅後、夫に『もしかして私の身にも、”子どもを親に預ける”ということが起こるかもしれない』と動揺しながら伝えたエイコ。夫は『良かったじゃん』と言い、エイコも自身に『これからが大事だから』と言い聞かせながらもこう思う。

親との長い確執の第一章が終わった
そんな感じはする

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 85/133

そして、母親に誘われて、娘Nちゃんを連れて実家に遊びに行くのであった。Nちゃんの緊張すると出てくる癖(初めての場所で笑いそうになると顔を歪めてこらえる)や縦ロールの髪の癖などが幼い頃の自分にもあったか…そんな事を母親に尋ねてみたくなったエイコ。

しかし、実家に行くと何故か母方の祖母と叔母がおり、既に盛り上がっている。エイコは祖母と叔母が来るとは聞いていなかったため、混乱し、娘のNちゃんもその喧騒に怯え、エイコの影に隠れてしまう。そんなNちゃんを見たエイコの母は『エイコちゃんもそんな感じだった』と言い、エイコは聞きたかった幼少期の自分について尋ねようとするも、祖母と叔母が騒いでいるのもあり、母は聞いてはくれない。そして、エイコに対して全く気遣いせず、全然知らない話題で盛り上がり、『太った』等と無神経なことを言ってくる、母、祖母、叔母に耐えられず、娘を連れて帰ってしまうのであった。

…本作ではサラッとしか描かれていないが、このエイコの祖母や叔母も相当癖がある人物で、母ほどではないにしても、エイコの自尊心を削り、オシャレへの抵抗や太ってしまう事の原因を作っている(詳しくは『呪詛抜きダイエット』で描かれている)。本作だけ読むと『それだけで帰ってしまうの!?』と思われてしまうかもしれないが、色々とあった結果、親戚が”アレルゲン”レベルでふとしたことでエイコは耐えられなくなってしまうのだ。

『なんで会いに行ってしまったのだろう』と後悔するエイコ。カウンセラーのカウンセリングを受けたエイコは母と再会して以降、暴食が激化してしまったことに気付く。カウンセラーはエイコがずっと母の主観を押し付けられてきたがゆえに、それと自身の主観の矛盾を埋めるために食べてしまうと分析する。
『両親との交流が復活する』と前向きに捉えていたエイコだが、深層心理と体は悲鳴を上げていたのだ。

この件で、エイコは母が自分の望むことはしてくれない…常に意識が外、世間体に向いており、そちらにむけて”良い母親”であることをアピールしようとしており、結果、エイコの気持ちや内面に向き合うことがないのだと改めて実感する。

そして、『私はNちゃんの内面を見る』と決意するのだ。

…この下りを見て、『言わんこっちゃない。毒親にわざわざ会いに行くからだ』と思う人もいるかもしれないが、上述した様に『”お母さん”的な存在に自分の子を見せたい、子どもの可愛さ、子育ての喜びを共有したい』という気持ちは痛いほどよく分かるので、毒親で自ら距離を置いたにもかかわらず、『会いたい』と思ってしまうのは仕方がないと思う。だからこそ、この親からの態度には相当傷付いただろうな…と哀しい気持ちになる。だが、傷付くたびに分析し、新しい気付きを得るのが田房永子氏の凄い所だと思う。

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自分の好みを押し付ける?ピンク色など女の子らしい服を娘に着せられないエイコ~背景には趣味を否定され、母親好みの服しか着られなくなった過去

多かれ少なかれ、他人に自分の好みを押し付けてしまうという事はあると思う。特にそれが自分の子どもで、それもハッキリと意思表示をしない、乳児・幼児の時期は。母親に自身の感性を否定さて、母の好みを押し付けられて来たエイコは『お母さんみたいに娘に趣味を押し付けたくない』という思いが強く、ベビー服の色についても悩んでしまう。

『男の子と違って女の子は自我の確立が早く、生意気なことも言ってきて怖い』…世間のそんな声に、エイコはまだ赤ちゃんの娘、Nちゃんを見ながら『そんな風になってしまうのか』と恐れる。そんな不安を夫に打ち明けたエイコは夫から『エイコさんはNちゃんに花柄とかピンクの服を絶対に買わないよね、緑とか黄色とか茶色ばかり』と指摘されて動揺する。エイコは自覚は無かったものの、夫が女の子らしい服を通販サイトで見つけて見せても、聞き流していたのだ。

指摘されて初めてエイコは娘にピンクや花柄の服を着せる事に強い抵抗を持っていることに気付く。

『花柄やピンクを着せると、”女の子”という枠に娘を押し込めてしまう気がする。黒や茶色が好きになった時に言い出しにくくなる』『大人の価値観で誘導したくない』と主張するエイコ。だが夫はその意見に『そうかな?』と言い、『ピンクが好きって言い出したらどうするの?着せないの?』とエイコに尋ねる。するとエイコは叫ぶ。

「Nちゃんが着たいというものに関しては、私はめちゃめちゃ着せますよ!?」

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 46/133

そもそもエイコ自身、母親達から『キラキラした可愛らしいものが好き』という感性を『センス悪い』と馬鹿にされ否定され続けた結果、『何を着ても笑われる気がする』と思ってしまい、メイクやアクセサリーといった着飾る事が出来なくなり、”一年中、全身ユニクロ、綿製品で過ごす中年女”になってしまったのだ。

娘をそんな風に育てたくないエイコは『自分の母親とは違って、娘がアニメのキャラ物の靴が欲しいと言ったらちゃんと買ってやる』と意気込むものの、『逆にキャラ物を押し付ける親になってしまうのではないか』とも不安になってしまう。

だが、そんな風に苦悩するエイコに夫は淡々と言う。

「あんまり気負うなよ。親に似ちゃうのは仕方ないんだからさ。似せないようにするっていうのは不自然だよ」

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 47/133

夫のその言葉にエイコは自身が母親みたいになりたくないがゆえに、力み過ぎ”不自然”になっていることに気付く。そして、母の事は受け入れられないものの、『子供のありのままを受け入れられる人になるために、自分のありのままを受け入れよう』と力を抜こうとするのであった。

しかし、保育園に通い成長したNちゃんが『ピンクがいい』と男の子っぽいものを拒絶するようになるとエイコは動揺する。Nちゃんが好む、ピンク地に黒いドット柄のパンツを見て『キャバ嬢の名刺みたい』等と抵抗感を持ってしまうのだ。あまりに自分の感性をかけ離れた感性を持つNちゃんに困惑してしまうエイコ。自分が言って欲しかったように娘が良いと思っているものに対しては『かわいいね』と言うと決めていたはずなのに、それが出来ずに苦しむ。

だが、保育園保護者会で『子供の日頃行っている困った行動を真似してみる』というロールプレイングをしたエイコは『好きなものを好きと全力で言う気持ち良さ』『絶対にそれじゃなきゃいけない訳では無いけど、ただ大人に”納得させて”と強く欲している』ということを感じる。そして、娘の友人達の行動から『ピンクに固執することで”女”という自身の属する性を確認している』ということを理解する。

これらの経験からエイコは娘の”ピンク好き”について納得することができ、娘の為にピンクにドット柄のフリフリの水着を購入したり、娘Nちゃんの個性が爆発したピンクばかりのふりふりコーディネートを『かわいい』と感じてノリノリで写真を撮れるようになったのだ。

娘に自身のコンプレックスを見る夫…エイコは娘の個性に着いて良い面をピックアップする様にする…すると、夫にも変化が

だが、エイコが自分と母親の関係を絡めて子育てについて悩むように、エイコの夫もまた、違った悩みを抱えていた。

ある晩、夫はエイコに深刻な顔でまだ乳児の娘について『Nちゃんは俺に似て引っ込み思案だ。これはマズイ』と言い始める。エイコには『子が親に似るのは仕方がない』と諭した夫であったが、夫もまた、娘の個性にコンプレックスや、友達の母親に『愛想がない』と嫌味を言われた辛い思い出を刺激され、娘の将来を心配すると同時に自身も苦しんでいたのだ。

子どもの存在にコンプレックスを刺激されたり同族嫌悪を持ったりするのは珍しい話ではない。(萩尾望斗の名作、『イグアナの娘』もそういう話である)

イグアナの娘の記事はこちら→【漫画】イグアナの娘【感想・ネタバレ・考察・解説】毒母の娘への憎しみ~その真理を描いた萩尾望斗の不朽の名作

明かされた夫の悩みについて、一緒に考えることにしたエイコ。しかし、『お父さんみたいにならないように』と育てることに違和感を持つ。それは、エイコ自身が引っ込み思案なところを含めた夫の個性に強く惹かれたからだろう。

そんなある日、エイコはある有名アスリートの父親の講演会を聴きに行く。アスリートの父は有名選手である娘、F子について『いつもテーブルの隅に飲み物をおき、いつも倒す。注意しても直らない』というエピソードを語る。だが、笑ってこう言うのだ。

「F子はねぇ、そんな小さなことは気にしない!大物なんだ!」
「だからF子はアスリートになれたんだ!」

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 61/133

その言葉に衝撃を受けたエイコ。親からいつも欠点ばかり指摘されて育ったエイコは『親があんな風に子どもの性格を肯定的に語っていいんだ!』と驚いたのだ。“ズボラ、いい加減”と捉えられがちな特性も見方を変えれば“細かいことを気にしない、大物”と言うことが出来る。そう気付いたエイコは『Nちゃんの事を言うときは、肯定的な良い言葉を選ぼう』と決める。

そして、娘のNちゃんに対して『引っ込み思案でダメ』と言いがちな夫の前でNちゃんについて『苦手なことを察知する能力が高い』『自己防衛本能が高い』と言うようにしたエイコ。すると、夫の過去の傷も間接的に癒されていったのか、ネガティブな言動が減っていくのであった。

このエピソードは読んでいてハッとした。日本は謙遜の文化があるのもあって、何事も、特に子どもの性格や個性に対しては悪い面をピックアップしがちである。でも、確かにワガママ→自分の意思がしっかりしている、ズボラ→細かいことを気にしない大物、引っ込み思案→危機管理能力が高い…等と言い換えることができるのだ。

私も子どもに対してはこういう目線を忘れないようにしようと思う。

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娘の感性を認め、良い面を見る様になったエイコは自らの子育てに自信を持つ…だが、他の親の嫌な面が目につくようになってしまい…

様々な経験から『子どもの内面を見る』『子どもの感性・好みを受け入れる』『良いところをピックアップする』と決意し、実行していくエイコは『そんな私、いい!すごくいい母親なんじゃないか!?』と育児に自信を持っていく。

だが、そうしていく内に子どもに厳しく接している母親、子どもを卑下する母親への嫌悪感が募っていき、『そういう親を持つ子供と接触しないで欲しい』と思い、『親からいじめられた子供は他の子、Nちゃんをターゲットにしてイジメるに違いない』という被害妄想まで持つようになった。

苦しくなったエイコは行きつけのカウンセラーに『自分以外の母親達が子どもを傷付けている気がする』と正直に明かし、相談する。そして、カウンセラーに思いを語る中で子どもを”傷付ける母親達”の背後に建前や世間体ばかりを気にして自身の内面を見つめてくれなかった自分の母親の影を見ていることに気付いて苛立つ。

結局またお前かよ

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 123/133

そう、未だに自分にまとわりつく母親の影に怒りを感じるエイコ。そして、色々なトラウマを乗り越えて娘とも上手く接することができるようになったにも関わらず、体型や声、そして口調までもがどんどん母に似てきたことにも苦しむのだ。

世の中の二面性…建前としてのA面と個々の感性、どうしようもない自然のB面…そのハザマでエイコは

本作の一番の見せ場はエイコが語る、社会のA面、B面という見方だろう。『ママだって人間』でもこの『A面、B面』についての言及があったが今回の方が分かりやすい。

妊娠・出産・育児を通して、エイコの価値観は激変する。今まで楽しく見れていたはずの深夜番組も楽しく思えず、テレビCMの裏に潜む女性観にも疑問を持つようになる。作中エイコが述べる『生理用品のCMには二十代前半の女性芸能人しか起用されず、経産婦や三十代、四十代、五十代の女性も生理用品ユーザーであることが伏せられている』『それは男性に生理の生々しさを感じさせないため』という指摘にはハッとさせられた。

そして、最終的にエイコは世の中には『政治・経済・常識』『努力すれば成功する』『女性は若くピチピチな方がいい…に代表される男性による女性観』など言う、社会を運営する決まり事や建前、多数派(そして男性目線が多い)の価値観で動いているA面と、

普段の社会生活ではあまり見えてこない、人間やどうしようもない、規則や常識で縛れない『妊産婦の実態』、『育児につきものの予測できない事態』、『変えられない個々人の感性や欲求』というB面があるという見方をするようになる。

そして、エイコは母が、世間体や社会常識といったA面ばかりを重視し、娘エイコの内面や感性といったB面を認めてくれなかったがゆえに、世間体を重視ししたくもない習い事や受験をさせ、周囲に謙遜のポーズを取るためにエイコを必要以上に蔑み、意見を認めず服装から進路からその時の感情まで操ろうとする“しんどい母親”になってしまい、母自身もそんな育児にしんどさを感じていたからこそ、エイコに助けを求めるようにすがっていたのだと考えるようになる。

そして、エイコは『母は母なりに娘である自分を”A面”に合わせ恥をかかないように守ったつもりなのかもしれない』と考えられるようになったものの、”B面”を親に見てもらえないことが辛さを改めて感じるのだ。

この見方には正直、かなり感心させられた。
感覚的な分類だが、子育てだけじゃない、社会の在り方についてもあてはまる考え方なのだ。A面、B面と表裏一体でありながらも、普段はこのA面が表に出ており、裏であるB面は見えない。そして、このB面にこそ、人の本質が詰まっているのだが。

しかし、“B面”だけ見ていては社会生活を送れないのも事実だ。エイコ『育児はこの“A面”と“B面”の間の壁の上に立っているようなもので、どちら側にも落ちずにふんばる必要がある』と考える。そして、

「母親のふんばり力には、夫とかパートナー他周りの協力や励ましによって生まれる“余裕”が不可欠なんですよォォ!!」

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 130/133

という結論に落ち着く。

『自分は100%子どもを愛している、私の子育て完璧』と一度は思い込んだエイコだが、“完璧”と思い込むことはともすれば孤立することになる。そして、結局それでは踏ん張り続けることは出来ないのだ。

エイコには共に子育てをしてくれる夫がいて、そして社会には保育士等、エイコ達と一緒に娘、Nちゃんの“B面”を見てくれる人がいる。そして、“みっともない母”であっても、そんなエイコを支えてくれるカウンセラーや精神科医もいる。

私はお母さんみたいにならない
泣いて助けを呼ぶ 夫にちゃんとキレる
みっともない母でいる そうやって日々ふんばり力を鍛えておく
私のことをNちゃんに助けてもらおうとしない
そうだ それが 私の子育てだ

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに 田房永子 132/133

支えてくれる人々の顔を思い浮かべながらエイコはそう誓うのであった。

まとめ~親との関係に苦しんだ人も、そうじゃない人も、見方を変えて楽になれる育児コミックエッセイ

本作のテーマは『お母さんみたいな母親にはならない』…実親との関係に悩みながらも、子育ての仕方を模索し奮闘する姿がメインだ。

しかし、本作はそれだけでなく『子どもの個性を受け入れる』『何事も良い面・悪い面もある個性の良い方をピックアップする大切さ』『A面・B面という社会の見方』等という、普段の育児・子育て、そして生活にも繋がる、ユニークでかつ役立つ考え方が満載である。

そのため、親との関係に苦しみながら子育てしている人はもちろん、毒親持ちでない人、子育てに関りが無い人にもオススメできる作品なのである。

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